ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1068話 市中引き回し

序文・みせしめ

                               堀口尚次

 

 市中引き回しは、江戸時代の日本で行われた刑で、死刑囚を馬に乗せ、罪状を書いた捨札等と共に刑場まで公開で連行していく制度である。「市中引廻し」とも書く。

 市中引き回しは死罪以上の判決を受けた罪人が受ける付加刑であり、単独の刑罰ではない。受刑者を馬や車に乗せ、罪状の告知文とともに市中を行進させた。目的刑論の立場からは、受刑者は処刑されるだけでなく、処刑を公衆に見せる必要があるからである。

 江戸においては、刑が確定した罪人は伝馬町牢屋敷から出されたあと、縄で縛られて馬に乗せられる。罪状が書かれた木の捨札や紙で出来た幟、刺股(さすまた)や槍を持った非人身分の雑色(ぞうしき)〈雑役を務めた卑賤の者〉が周りを固め、南北町奉行所の与力と同心が検視役として罪人を挟む形で後ろを固め、江戸市中を辿った。時代劇等では罪人は鞍の付いていない裸馬に乗せられているが、実際は菰を敷いた鞍の上に乗せられていた。

 市中引き回しは1日がかりの行程であり、それに加えて実行側も気分の良いものではないため、あまり進んで参加しようとする者〈実行側〉はいなかったと言われている。〈五ヶ所引廻では約20kmに及ぶ〉また死出の旅ということで罪人には金が渡され、求めに応じて道中酒を買わせたり、煙草を買わせたりした。しかし小石川の商家の前を通ったとき、路上の見物人の中に赤ん坊に授乳している婦人がおり「あの乳が飲みたい」と罪人が所望した。検視役人は婦人に命じてその願いを叶えてやったが、それ以後この制度は行われなくなった。

 市中引き回しは、知名度の高い罪人が処される時にはさながら庶民の見世物と化し、罪人が貧相な風体をしていると江戸市民の反感を買いかねないため、それを嫌った幕府は引き回しの時に調度を整えさせた。例えば鼠小僧は美しい着物を身に付け、薄化粧をして口紅まで注していたという。

 罪人にも同情すべき点がある場合、引き回しの時に使われた幟を被害者である店の主人に下げ渡す「幟あずけ」と呼ばれる不文律の懲戒処分が行われた。幟を捨てることは許されず、毎年一回罪人の命日に与力が「幟しらべ」と呼ばれる確認にやってきた。そうなるとその店には客が寄り付かず、多くの店は幟あずけをされると破産したという。