ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第72話 小選挙区比例代表並立制と一票の格差

序文・選挙が近いので、復習がてら再勉強してみました。

                               堀口尚次

 

  小選挙区比例代表並立制は、小選挙区制と比例代表制を組み合わせた制度衆議院議員選挙で採用されている。小選挙区制(定数289)と比例代表制(定数180)で行われる。比例代表制では、全国を11のブロックに分けて投票される。有権者は、小選挙区比例代表にそれぞれ一票ずつ投票する。

 小選挙区制」は、1つの選挙区から1人を選ぶ制度衆議院議員選挙で採用されている。衆議院議員選挙は、各都道府県に複数の選挙区を設けて選挙を行う。選挙区は人口に応じて区分けされる。次の選挙からは、全国289の選挙区で行われる。1つの選挙区が小さいから、選挙費用が安く抑えられる。立候補者と有権者の距離が近くなり、細かい選挙運動ができる。だから、大政党に有利になって政治が安定する。小選挙区制は1人しか当選しないから、死票が多いのが特徴。少数意見が反映されにくい制度。

 比例代表制は、政党の得票数に応じて、政党に議席を配分する制度。投票するときは、政党名もしくは立候補者名を記入する。衆議院議員選挙や参議院議員選挙で採用されている。政党の得票数に応じて議席を配分する方法をドント式という。小選挙区制に比べると死票が少ないことが特徴。国民のさまざまな意見が反映されやすいが、議会に責任ある多数派ができにくいともいわれている。多くの政党があることは、政策を選んで投票できる。しかし、政党が乱立してしまうと、政治が不安定になりやすい。

 ちなみに大選挙区制」は、1つの選挙区から2人以上を選ぶ制度地方議会議員選挙で採用されている。都道府県や市町村を1つの選挙区として投票を行う。

この制度は死票が少ないことが大きな特徴。死票とは、落選者に投票した票のこと。大選挙区制では複数の人が当選するから、死票が少ない。複数の人が当選できるから、人数の少ない小さな政党からでも当選できる。たくさんの政党の中から、自分に合った政党を選んで投票できる。しかし、政党がありすぎると政治が不安定になりやすいこともある。

 一票の格差とは、同一の選挙の選挙区間有権者数あるいは人口数が異なっていることで1票の価値あるいは選挙区民一人ひとりの価値が異なっていること。一票の価値が小さい選挙区では、価値の大きい選挙区で当選した候補者以上の票を得ていても落選するような事態が、一票の格差の象徴的事例のように取り上げられることがある。一票の格差が大きいほど、ある選挙区で当選した候補者以上の得票をしても別選挙区では落選するような傾向が起こりやすいことは事実ではあるが、何票を取れば当選・落選するという観点はあくまで副次的・二次的な問題にすぎない。一票の格差が極限まで小さい場合でも、有権者数や投票率、無効票による投票総数の違いや候補者数の多寡(たか)=多い少ない によって当落の票数は変動するため、ある選挙区で落選した人より少ない獲得票でも別の選挙区では当選する事態が発生しうる。

 ボルダ得点制度【投票者が選考順序に従って候補にランク付けをする、一人勝者選挙方式である。各々の候補に、有権者が付けたランキングの順位に対応した特定の点数を与えることによって選挙の勝者が決定される】や、決選投票制度【1回の投票で決着がつかない時に、上位候補に絞った上で再度投票を行うこと。票割れの弊害を緩和する方式である】や、優先順位付投票制【有権者が候補を優先順位にしたがってランクづけすることにより、一回の投票で済むようにする】を用いれば、当落線上にいる候補者数を少なくすることもできる。

 「一票の格差」における本質は、議会の裁量が、選挙制度における一般的な合理性を有するものとは、到底考えられない程度に達しているときや、限界を超えている場合の、議会の権限と責任において、解決すべき問題に対する不作為を指摘し、有権者への権利侵害を問題視するものである。政治家が、自分たち(の選出した人と)で選挙区を区分することに際して、そこに多数決の弊害による恣意(しい)が発生していないかが問題とされる。通常は、人口や有権者数は常に流動するものであるから、選挙区を区分する選挙で一票の価値の差が完全になくなることはまずない。多くの国では一定の年数ごとに区割りを見直すことが法制化され、その年限以内に発生した価値の差程度は容認するものとしているものの、その事務の煩雑(はんざつ)さも含めて問題とされている。行政区から独立した選挙区の設定を認めると、区割りの自由度が格段に増大することで格差を劇的に縮小できる反面、恣意的にゲリマンダー【選挙において特定の政党や候補者に有利なように選挙区を区割りすることをいい、本来的にはその選挙区割りが地理的レイアウトとして異様な場合を指していう】を行ったり、その疑いを持たれることも多くなる。

民主主義の原点は選挙にあると思うが、勉強していたら頭が痛くなってきた。

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第71話 日蓮正宗門徒だった戸田城聖の生涯

序文・創価学会戸田城聖について調べてみました。

                               堀口尚次

 

 第二代創価学会会長の戸田城聖(じょうせい)は、明治33年石川県に生れ、大正7年小学校の教員となる。その後、学習塾「時習学館」を主宰、学習参考書の走りともいえる『推理式指導算術』を出版し、100万部を超えるベストセラーとなった。当時の受験生からは「受験の神様」と呼ばれた。

 この頃、後(のち)の初代創価学会会長の牧口常三郎と知り合い、牧口が日蓮正宗法華講員に折伏(しゃくぶく)【広義での勧誘】されると、戸田も牧口と共に日蓮正宗に入信する

 そして、本格的に出版事業に乗り出し、「日本正学館」を設立。牧口の教育理論である『創価教育学体系』や、同郷の作家の小説などの出版を手がける。この『創価教育学体系』の初版が発刊された昭和5年を「創価教育学会」の設立年としている。なお、牧口の著作は「創価教育学会」が出版した。

 戸田は出版業以外に金融業や証券業にも乗り出し、事業家として一定の成功を収める。昭和15年の第2回総会で正式に創価教育学会理事長に就任し、学会の活動を主に財政面で支えた。

 昭和18年日蓮正宗総本山大石(たいせき)寺に呼ばれた牧口と戸田らは、軍部から強制された神札(しんさつ)=お札(ふだ) 受け取りを拒絶する。その後、牧口らは大石寺から登山停止を言い渡される。大石寺では、その教義の上から、神札を謗法(ほうぼう)【仏教の正しい教えを軽んじる言動や物品の所持等の行為】と呼び、祀(まつ)ってはならないとされている。しかし、太平洋戦争の時代にあっては軍部により、神札を押し付けられるという事態が発生し、その対応に苦労した。大石寺大書院が、軍部に中部勤労訓練所として徴用され、訓練所の所長らに神札を祀られるという事件が発生した。大石寺側は宗旨に反するからという理由で抗議をしたが、軍部は受け付けなかった。こうした経緯から、 治安維持法違反・明治神宮に対する不敬罪の容疑で、戸田は牧口と共に逮捕される

 昭和20年服役を終えると、「創価教育学会」を「創価学会」に改め、牧口が会長に、戸田が理事長になる。前身の「創価教育学会」は牧口の創価教育学を中心とした教職員による集まりであったのに対し、「創価学会」は日蓮正宗の信仰を中心に据え広く一般人を受け入れたため、会員数は増大した。

 しかし、事業経営における戦前の主力だった算術書が学習指導要領の全面改正で無意味なものになり、事態打開のために参入した雑誌も売れ行きが低迷するなど、経営は悪化。昭和24年、日本正学館は倒産する。戸田は東京建設信用組合を設立し営業を始めるが、多額の負債があるために今度は大蔵省から営業停止の命令を受け、破綻。昭和25年、戸田は、創価学会理事長を辞任する。同年、大蔵商事を設立し、顧問に就任。

 昭和26年、東京・向島常泉寺で式典を開き、後の大石寺65世法主臨席の下、戸田は第2代創価学会会長に就任する。翌年には「創価学会」は宗教法人となる。

 戸田は、事業家としての経験をもとに創価学会の運営を行った。戸田は就任演説において、7年間で75万世帯を折伏することを目標に掲げ、大規模な布教運動を行った。しかし、強引な勧誘方法は各地で社会問題化した。

 日本全国に創価学会の組織を整備し、創価学会の政治進出を正当化する理論を説き、これは後の公明党の基盤となった。戸田会長時代に機関紙『聖教新聞』が創刊された。昭和29年には国会や地方議会の選挙に学会員を出馬させ、政治進出を果たした。また、日蓮正宗の外護(げご) 【仏道修行の人に修行に必要なものを供給して心身に安穏を与えること】という創価学会本来の目的を果たすべく、大石寺への大講堂の建立・寄贈などを行い、宗門らとも良好な関係を築いた。

 その一方で、牧口が仏法思想にある原因結果の法則と自らの価値論を絡めた「罰論の功徳論」を展開したのに対し、戸田は戦後の荒廃した時宜(じぎ)に沿う形での「生命論」を提唱する。「生命論」は戸田が獄中で得た悟りをもとに発表したもので、創価学会が現代に即した法華経を展開するための核心的な理論となった。酒好きで、しばしば酒を飲んで酔っぱらいながら説法をしていた。不飲酒戒のある仏教であるが日蓮系教団の教義では問題にならない。これを「末法無戒」というが、末法の世には細かい戒律は必要がないという、日蓮宗諸派の教学である。

 戸田城聖は、このようにして今日巨大な組織となった「創価学会」「公明党」の基礎を築いたのだ。但し「政教分離」の問題は、課題として存在している。

 しかしながら「日蓮宗の本山・身延山久遠寺」「日蓮正宗大石寺」「創価学会」「公明党」これら団体の根底に流れているものは、法華経を中心に「南無妙法蓮華経の御題目を唱えた日蓮上人の教えであろう。

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第70話 江戸幕府の役職と官位

序文・「肥後守(ひごのかみ)」と云えば、小刀の事だが、本来は肥後の国(熊本)の長官という官位でした。

                               堀口尚次

 

 江戸幕府幕藩体制では、将軍の直臣(じきしん)=直属の家臣・直参(じきさん)ともいう として旗本(はたもと)と御家人(ごけにん)がおり、親藩(しんぱん)・譜代(ふだい)・外様(とざま)らの諸大名がいる。旗本や諸藩の大名の家臣は、直臣に対して陪臣(ばいしん)とされた。親藩とは、徳川御三家尾張紀伊・水戸】に代表される将軍家の親戚であり、御一門・御両典【駿河甲府・館林】も含み、徳川姓と葵(あおい)の御紋(ごもん)が許されており、それ以外にも御家門・御連枝など、松平姓と葵の御紋が許されている大名がある。

 譜代とは関ケ原の戦い以前からの徳川家の家臣で、外様とは関ケ原の戦い以降家臣になったもの。

 旗本でも親藩大名でもない徳川御三卿(一橋・田安・清水)という立場もある。これは、御三家より将軍家に近い親戚とされ、御三家と合わせて将軍の世襲対象となりうる。

 幕府の最高位は「将軍」で朝廷から征夷大将軍を賜る。実際の政務を司るのは「老中」であり譜代大名から選出される。「大老」は臨時の最高職。

 「老中」は、「勘定奉行」を差配し、その勘定奉行が「町奉行」を差配した。各町奉行には、数人の「与力」が付き、その与力には数人の「同心」が付いた。この同心が、非公認の協力者としての「おかっぴき」を連れ「御用提灯」を持って市中を取り締まった。十手を持っていたのは、与力と同心である。

 時代劇等でよく出て来る、「お代官様」と云うのは、天領=幕府直轄地の長官であり、旗本が江戸から派遣されて赴任しているものだ。江戸から遠く離れているが、幕府の直参であり、地方の大名よりも官位が高いこともあり、権力を振りかざしたり、豪商らとの癒着があった事も否めない。「越後屋~お主も悪よの~」と云うセリフが悪代官に似合う訳だ。

 おまけ情報として「茶坊主」と云うのは、大名や高級旗本の世話係で、僧侶ではなく身分は武士。最後に、有名な大名の「官職名」を挟み込んだ名前を列挙した。勿論、名誉職であり朝廷から賜った肩書でしかない。

浅野 内匠頭(たくみのかみ)長矩→内匠寮の長官(中央官庁のトップ)

吉良 上野介(こうずけのすけ)義央→上野国の次官(地方の県の副知事)

大岡 越前守(えちぜんのかみ)忠相→越前国の長官(地方の県の知事)

井伊 掃部頭(かもんのかみ)直弼→掃部寮の長官(中央官庁のトップ)

一橋 刑部卿(ぎょうぶきょう)慶喜刑部省の長官(中央官庁のトップ)

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第69話 知多半島に残る源義朝伝説

序文・地元知多半島にこんな伝説の地があります。

                               堀口尚次

 

 愛知県の知多半島には、源義朝河内源氏6代目棟梁・鎌倉幕府を開いた源頼朝源義経=牛若丸 の父)が、平治の乱で平家に敗れ野間(のま)で謀殺された記録が残る。東海道を下って敗走し、馬も失った義朝は、裸足で尾張国野間(現愛知県知多郡美浜町)にたどり着き、家臣で乳兄弟(ちきょうだい)の鎌田政清の舅(しゅうと)で年来の家人であった長田忠正とその子・景至のもとに身を寄せた。しかし恩賞目当ての長田父子に裏切られ、入浴中に襲撃を受けて殺害された、と「平治物語」にはある。

 伝承によれば、義朝は入浴中に襲撃を受けた際、最期に「我れに木太刀の一本なりともあれば」と無念を叫んだとされる。義朝の墓はその終焉の地である野間大坊(のまたいぼう)=大御堂寺 の境内に存在し、廟(びょう)には上記の故事に因(ちな)んで幅約3センチ、長さ役約40センチの木刀が山のように供えられている。また、境内には義朝の首を洗ったとされる池があり、国家に一大事があると池の水が赤くなると言い伝えられている。

 現在の東海市養父(やぶ)では、義朝を慕ってこの地に来た愛妾(あいしょう)の小玉姫が、義朝の悲運を耳にし悲嘆やるかたなく義朝との間に生れた子二児を残して自刃した。村人はこれを思い小祠を建立し、以来「春風秋雨小玉さん」と呼んで供養を続けて来た。赤子の夜鳴きに霊験があるというので、信心する人が多いようだ。

 「吾妻鏡」には、義朝の墓に関する次のような記述がある。平康頼は尾張守として任地にあった時、野間にある義朝の墓が、守る人もなく草が生い茂って荒れ果てていたので、小堂を建て、田を寄進し、僧6名を置いて供養に当たらせた。義朝の子である頼朝はこの功績に応え、康頼を阿波国麻殖保(おえのほ)の保司に任じたという。また上洛途上の頼朝が、野間にある父・義朝の墓に詣でたことが記されている。荒れ果てた墓を想像していた頼朝は、立派な寺が建ち、供養されていることに感心した。寺伝ではこの時に頼朝が父の菩提のために寄進を行い、伽藍を整備し、自らの守本尊である地蔵菩薩像を安置したという。時代が下ると、豊臣秀吉徳川家康の庇護(ひご)を受けてさらに発展、現在に至る。

 私は過日「野間大坊」と「小玉姫の祠」を訪れ、畏(かしこ)み参拝した。

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第68話 我が祖先・堀口貞満

序文・私の祖先が清和天皇に繋がっていた!

                               堀口尚次

 

 堀口貞満(ほりぐち さだみつ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。清和源氏の一門で上野国に土着した新田氏の支族。上野国新田郡(新田荘)の東南端にある堀口郷(現在の群馬県太田市堀口町)を支配していた。

 貞満は、新田義貞足利尊氏と共に鎌倉北条政権を倒した武将)の挙兵に参加し、鎌倉を攻略するなど活躍。論功で正六位上大炊助(おおいのすけ)(大炊寮の次官=官名)に叙任される。更にその後、従五位上美濃守(みののかみ)となったが、これらの官位は名ばかりの名誉職である。以後義貞の重臣として活躍。足利尊氏中先代の乱に乗じて建武政権に叛旗(はんき)を翻(ひるがえ)すと、貞満は矢作川での戦いで足利軍と戦ったとされる。

 西国で勢力を盛り返した尊氏が京都を占拠すると、義貞の軍に従い後醍醐天皇らと共に比叡山に逃れた。この時後醍醐天皇へ尊氏から密使が来て、天皇が義貞に無断で尊氏と和睦をして比叡山を下山しようとした為、貞満が出発直前の天皇に「当家累年の忠義を捨てられ、京都に臨幸なさるべきにて候はば、義貞始め一族五十余人の首をはねて、お出であるべし」と奏上(そうじょう)し後醍醐天皇皇位恒良親王に譲り、恒良親王と高良親王を委任することで新田軍が官軍であることを保証してから下山した事は『太平記』でも有名な一節となっている。

 その後、義貞に従って、次子の貞祐らとともに越前及び美濃各地で戦い、美濃郡上郡尾根徳山から越前に進軍中に没した。貞祐が家督を継ぎ、北朝方との戦いを継続した。

 現在の群馬県太田市堀口町には、堀口館跡があり、それを示す木柱が早川の堤防脇に立てられている。私は20代後半に、当地を尋ね史跡を確認している。

 美濃国本巣郡岐阜県揖斐川上流)には、堀口一族の子孫が土着した。戦国時代に斎藤氏や明智氏に仕えた坂本氏は、貞満の末子貞安の子孫とされる。

 私の父親曰(いわ)く、実家が、岐阜県大野町にあり、上記の示す土着した子孫だと云う。ちなみに堀口氏の本姓は源氏。家系は河内源氏源頼家の三男である源義国の子、源義重を祖とする新田氏の支流の一族であり、遡(さかのぼ)れば清和天皇【清和源氏の本家】に辿り着くらしい。まさか自分の祖先が恐れ多くも天皇だったとは驚愕だが、ありがたい血統だと思い、精進する次第である。

 「従五位上・堀口美濃守貞満」の、後醍醐天皇を御前にしての奏上は、死を覚悟しての「尚武(しょうぶ)=軍事を重んずる事」の行動であり、私の矜持(きょうじ)としたい。

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第67話 アイヌ(蝦夷)人と和人との戦いの歴史

序文・リクエストにお応えして、アイヌの戦いの歴史を紐解いてみました。

                               堀口尚次

 

 平安時代の公(く)卿(ぎょう)=公家の最高幹部 の坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、陸奥出羽按察使(あぜち)=地方行政監督機関・陸奥(むつの)守(かみ)・鎮守将軍の職位に就き、更に桓武天皇より征夷大将軍に任ぜられると、東北地方全般の行政を指揮する官職を合わせ持った。この後更に位を上げて、従(じゅ)四位(しいの)上(じょう)・近衛中将となる。「征夷」とは蝦夷を征討するという意味。この名残から武家政権の将軍には徳川将軍に至るまで、朝廷から「征夷大将軍」の官職が賜(たまわ)れた。この時の「征夷」は東北地方の蝦夷(えぞ)人との戦いであり、蝦夷の族長である阿弖流為(あてるい)を降伏させているが、北海道へは進軍していない。

 鎌倉時代になると、安東(あんどう)氏(し)が蝦夷大官職になるが、津軽蝦夷人の蜂起があり、安東氏が討たれている。

 室町時代にはコシャマインの戦い」と云われる、和人鍛冶職人とアイヌ青年の争いを発端として、アイヌの首長コシャマインが蜂起したもので、これは現在の北海道函館付近であり、最終的に平定されるが、和人を大いに苦しめたという。更に「ショヤコウジ兄弟の戦い」は、北海道南部で発生した、アイヌ首長・ショヤコウジ兄弟と蠣先(かきざき)光弘=北海道松前の武将 との戦いである。衝突の原因は、北海道渡島(おしま)半島の縄張り争いと考えられる。

 江戸時代にはシャクシャインの戦い」と云う、アイヌでシブチャリの首長シャクシャインが中心として蜂起し、アイヌ2部族の抗争、報復の最中に松前藩に対する武器貸与要請の使者に関する誤報から、松前藩への大規模な蜂起に発展した。この後、松前藩は中立の立場をとり蜂起に参加しなかった地域集団をも含めたアイヌ民族に対し「七ヵ条の起請文」によって服従を誓わせた。その後「クナシリ・メナシの戦い」と云う、クナシリの請負人・飛騨屋との商取引や労働環境に不満を持ったクナシリのアイヌが蜂起し、商人や商船を襲い和人を殺害したが、この戦いに破れて以降、アイヌによる大規模な蜂起は見られなくなった。

 日本北部の先住民族である、アイヌ人(蝦夷人)は、自分達の部族間抗争と和人(本州から攻め込んだ武将達)らの侵略との戦いの末、明治時代には日本国民の「平民」へと編入された。現在、アイヌ固有の文化は衰退の一途を辿(たど)っているが、その歴史や文化は最大限尊重されるべきだと考える。

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※道南の神社が所蔵していたという 江戸時代の「アイヌ風俗絵馬」

第66話 懐かしい怪獣や英雄たち

序文・怪獣や英雄たちに会いたくなりました。やはりアナログ時代はよかったよねぇ~

                               堀口尚次

 

 子供の頃(昭和40年代)に観た怪獣や英雄たちに会いたくなった。いわるゆ漫画やアニメではなく、映画やテレビの実写版で楽しんだものだ。

ゴジラガメラ

名古屋市南区の柴田に映画館がありバスに乗り連れて行ってもらった。敵の怪獣も色々いたが、印象にのこっているのは、ゴジラの方がキングギドラ(顔と首が三つある龍のような怪獣)とモスラ(蛾)、ガメラの方がギャオス(コウモリみたい)とギロン(ナイフみたい)だ。

大魔神

時代設定が戦国時代であり、スケールの大きい映像だった。大魔神が怒って顔の前で腕を開き、顔面が憤怒の形相になるところが怖かった。

ウルトラマンウルトラセブン

ウルトラマンの怪獣では哀愁のあるジャミラがいた。バルタン星人はあまりにも有名。ウルトラセブン地球防衛軍の車・ポインターがかっこよかった。

仮面ライダー

変身ポーズが流行ったし、改造されたバイクもかっこよかった。敵のショッカーがコミカルだった。

ブースカ

話しの内容は殆ど覚えていないが、ラーメンが大好きで愛嬌のある容姿が可愛いかった。怪獣ではなく「快獣」という設定だった。

⑥赤影

白影の大凧乗りや青影のギャグ「だいじょ~ぶ」、金目像を操る甲賀幻妖斎などキャラクターが濃かった。仮面の忍者といいながら、殆ど顔が見えてる赤影だったが、かっこよかった。

マグマ大使

マグマ大使を呼ぶ時に吹く笛の音が印象的だった「ピコピコピー!」。地球侵略を狙う、宇宙の帝王・ゴアが仕向けて来る怪獣と戦うのだ。

サンダーバード

なぜだか2号だけが人気があり、プラモデルを持っていたと思う。

ミラーマン・バロムワン・猿の軍団

ミラーマンウルトラマンの、バロムワンは仮面ライダーの二番煎じみたいなやつ。猿の軍団は、映画「猿の惑星」のヒットに便乗したSF特撮テレビドラマだが、内容は殆ど覚えていない。

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