ホリショウのあれこれ文筆庫

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第411話 異例の出世「側用人・柳沢吉保」

序文・旗本最高位

                               堀口尚次

 

 柳沢吉保(よしやす)は、江戸時代前期の幕府側用人譜代大名第5代将軍徳川綱吉の寵愛を受けて、元禄時代には大老として幕政を主導した。王朝文化への憧憬(しょうけい)を強く抱いた文化人でもあり、江戸に六義園(りくぎえん)を造営した。

 江戸幕府における御側御用人は、征夷大将軍の側近であり 、将軍の命令を老中らに伝え、また、老中の上申を将軍に取り次ぐ役目を担った。 将軍近侍職の最高位にあたり、従四位下に叙任せられる。 5000石級の旗本で、将軍の側衆として枢機(すうき)に与る者の中から選任され、特に重要事項の伝奏を役目とした。

  側衆〈御側・御側衆〉は、将軍側近の重職、役高5000石、定員5~8名、幕府の組織制度において老中の管轄支配下とされた。当初は、将軍近侍(きんじ)からの政務及び監察権の行使に関与していたことから強い政治力を持ち、老中以上の実権を握る者も実在した。旗本の補任される役職 〈旗本役〉 では、大番頭、留守居役とならび最高位の格式を誇った。

 3日に1度の宿直勤務があり、将軍の就寝中の当番を務めた。主に将軍の警護や、将軍が就寝中に老中などによって持ち込まれた政策などを取次ぐ役割であった。また、奥向きの諸般のことをはじめ小姓(こしょう)、小納戸(こなんど)、奥医師などの進退を支配した。将軍の親任をうけて御側側用人や御側御用取次に取り立てられる場合があり、それ以外の平側衆は主として2000~3000石級の家禄の上級旗本が番方系の役職を進んで最後に就任する役職であった。

 俗説によれば、側室の染子はかつて綱吉の愛妾であり、綱吉から吉保に下された拝領妻であるという。一説に吉里〈吉保の長男〉は綱吉の隠し子であるとも言われる。また、一説に吉保は甲府に100万石の領地を綱吉から賜らんと企てて、吉保の側室になってからも綱吉の寝所に召されることの多かった染子を通じてこれを願い出た。綱吉はこれを快諾するも、まもなく綱吉は病死し、このことは沙汰止みとなった。しかし、このようなことがまた起こることを憂慮した幕閣は、これ以降、将軍が大奥に泊まる際には、同衾(どうきん)〈とも寝〉する女性とは別に大奥の女性を2名、将軍の寝所に泊まらせ、彼女等に寝ずの番をさせ、その夜に何が起こったのかをことごとく報告させることとした。このことは、江戸幕府が滅亡するまで続けられたというが、事実のほどは不確かである。