ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1051話 番町皿屋敷

序文・いちまーい にまーい

                               堀口尚次

 

 皿屋敷は、お菊の亡霊井戸で夜な夜な「いちまーい、にまーい... 」と皿を数える情景が周知となっている怪談の総称。播州姫路が舞台の『播州皿屋敷』、江戸番町が舞台の『番町皿屋敷』が広く知られる。

 日本各地にその類話がみられ、出雲国松江の皿屋敷土佐国幡多郡皿屋敷、さらに尼崎を舞台とした〈皿ではなく針にまつわる〉異聞〈『尼崎お菊伝説』〉が江戸時代に記録される。

 江戸時代、歌舞伎、浄瑠璃、講談等の題材となった。明治には、数々の手によって怪談として発表されている。大正、岡本綺堂の戯曲「番町皿屋敷」は、恋愛悲劇として仕立て直したものである。

 江戸の「皿屋敷」ものとして最も広く知られている のは、宝暦8年の講釈士・馬場文耕の『皿屋敷弁疑録』が元となった怪談芝居の『番町皿屋敷』である。

 『牛込御門内五番町にかつて「吉田屋敷」と呼ばれる屋敷があり、これが赤坂に移転して空き地になった跡に千姫の御殿が造られたという。それも空き地になった後、その一角に火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)・青山播磨守主膳の屋敷があった。ここに菊という下女が奉公していた。承応2年正月二日、菊は主膳が大事にしていた皿十枚のうち1枚を割ってしまった。怒った奥方は菊を責めるが、主膳はそれでは手ぬるいと皿一枚の代わりにと菊の中指を切り落とし、手打ちにするといって一室に監禁してしまう。菊は縄付きのまま部屋を抜け出して裏の古井戸に身を投げた。まもなく夜ごとに井戸の底から「一つ……二つ……」と皿を数える女の声が屋敷中に響き渡り、身の毛もよだつ恐ろしさであった。やがて奥方の産んだ子供には右の中指が無かった。やがてこの事件は公儀〈幕府中枢〉の耳にも入り、主膳は所領を没収された。その後もなお屋敷内で皿数えの声が続くというので、公儀は小石川伝通院の了誉上人に鎮魂の読経を依頼した。ある夜、上人が読経しているところに皿を数える声が「八つ……九つ……」、そこですかさず上人は「十」と付け加えると、菊の亡霊は「あらうれしや」と言って消え失せたという。』

 皿屋敷の伝説がいつ、どこで発生したのか、「いずれが原拠であるかは近世〈江戸時代より〉の随筆類でもしかとはわからぬし、また簡単に決定できるものでもあるまい」とされる。