ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第197話 お代官様~

序文・お主も悪よの~

                               堀口尚次

 

 江戸時代、幕府の代官郡代〈通常の代官より位が高く、比較的広域の幕府領を支配する代官のこと〉と共に、勘定奉行支配下におかれ小禄の旗本の知行地天領〈幕府直轄地〉を治めていた。初期の代官職は世襲であることが多く、在地の小豪族・地侍も選ばれ、幕臣に取り込まれていった。

 このように、代官とは基本的には、幕府の直轄領地を支配している役人のことで、位的には旗本の最下層に当る。代官は、身分の割には支配地域、権限が大きく、代官所に勤務する人員の数は限られていたため、仕事は非常に多忙だった。しかしながら、同じ代官の名称を用いるが、幕府の直轄地ではなく、藩における遠隔地や飛地などにも「藩の代官」がおかれることも多々あった。

 通常、代官支配地は数万石位を単位に編成される。代官は支配所に陣屋〈代官所〉を設置し、統治にあたる。代官の配下には10名程度の手付〈幕府の御家人〉と数名の手代〈現地採用の抱え席〉が置かれ、代官を補佐した。特に関東近辺の代官は江戸定府〈代官なのに直轄地にいなく江戸にいた〉で、支配は手付と連絡を取り行い、代官は検地、検見、巡察、重大事件発生時にのみ支配地に赴いた。遠隔地では代官の在地が原則であった

 また私利私欲に走るなどで、少しでも評判の悪い代官はすぐに罷免される政治体制になっていた。過酷な年貢の取り立ては農民の逃散につながり、かえって年貢の収量が減少するためである。実際、飢餓の時に餓死者を出した責任で罷免・処罰された代官もいる。しかしながら、その一方では、領民たちを重い税から救うために自らの命を犠牲にして年貢の減免を幕府に訴え続けた代官や、同じく支配地への甘藷〈サツマイモ〉の導入によって領民たちを飢饉から救った代官などを始め、名代官と呼ぶにふさわしい代官も存在した。

 ただし、それでも悪代官と呼ぶに相当する人物もいたようであり、文献によると播磨国で8割8分の年貢〈正徳の治の時代の天領の年貢の平均が2割7分6厘であったことと比較すると、明らかに法外な取り立てである〉を取り立てていた代官がいた事が確認されている。

 時代劇で悪代官が登場することが多い。こうしたことから、代官と言えば、圧政で百姓を虐げ、商人から賄賂を受け取り、土地の女を好きにするなどのいわゆる悪代官のステレオタイプなイメージが広く浸透した。今日、無理難題を強いる上司や目上を指してお代官様と揶揄するのも、こうしたドラマを通じた悪代官のイメージが強いことに由来する。「お代官様~」!?因みに「代官山」の由来は諸説あり代官屋敷があったとか代官所有の山林があったとか・・・。

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第196話 滅私奉公の今昔

序文・現代社会と武士道の矛盾

                               堀口尚次

 

 滅私奉公は、私を滅し公に奉ずることを意味する古事である。一般的には、私心や私情を抑えて、国家・地方公共団体・社会・世間などに対して奉仕する精神を意味する。「滅私」は自身の利益や欲求を捨てること。「奉公」は公や立場が上の者に奉仕すること。

 しばしば個人主義私利私欲の対極にある思想のひとつと見なされ、過度な実践は自己犠牲を伴い、全体主義に繋がることもある。個人主義の発祥の地である欧米諸国においても、公に対する忠誠や献身的精神は究極の愛の形として高く評価されることはあるが、日本の戦後教育は個性を重視する観点から否定的である。

 江戸時代の日本では、葉隠の記載から広く浸透した「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」という言葉にあるように、士族社会に於いては「自分の命を捨ててでも、主人のために尽くす」生き方が推奨された。

 現代日本の企業の特徴のひとつとして、企業の公共性や社会貢献の度合とは関係なく、企業内における封建制下の主君と家臣のような関係性を指して、変則的に滅私奉公と表現されることがある。この企業内で完結する滅私奉公の強要が、過労、サービス残業、休日出勤、有給休暇の未消化といった労働問題の原因になっているとの指摘もある。

 日本経済団体連合会は「戦後の教育は、権利の尊重を過度に重視してきた。その結果、自らの権利のみを主張する弊害が目立つようになっている。権利と義務は表裏一体の関係にあることを踏まえ、権利意識とバランスのとれた公共の精神、つまり社会の構成員、あるいは組織・団体の構成員としての責任と義務を教育の中で強調していくべきである」との政策提言を行うなど、この変則的滅私奉公を推し進めるべきだとも取れる主張を行っている。

 古典文学・太平記の名場面のひとつで、国語・修身・国史の教科書に必ず載っていた「滅私奉公」の逸話で、いわゆる戦前教育を受けた者には大変有名な話である「桜井の別れ」は、西国街道の宿で、楠木正成・正行父子が訣別する話である。桜井宿にさしかかった頃、正成は数え11歳の嫡子・正行を呼び寄せて「お前を故郷の河内へ帰す」と告げた。「最期まで父上と共に」と懇願する正行に対し、正成は「お前を帰すのは、自分が討死にしたあとのことを考えてのことだ。帝のために、お前は身命を惜しみ、忠義の心を失わず、一族郎党一人でも生き残るようにして、いつの日か必ず朝敵を滅せ」と諭し、形見にかつて帝より下賜された菊水の紋が入った短刀を授け、今生の別れを告げた。

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第195話 「戦争自体は悪」が持論の海軍中将・堀悌吉

序文・謹賀新年、日米開戦80周年記念シリーズその2

                               堀口尚次

 

 堀悌吉(ていきち)、日本の海軍軍人。海兵32期首席・海大16期次席。海軍中将。先輩の米内〈海軍大臣内閣総理大臣〉、同期生の山本五十六海軍次官連合艦隊司令長官〉、後輩の井上〈最後の海軍大将〉からの信頼が厚く、海軍軍政を担うと目されていたが、軍縮会議後の大角(おおすみ)人事〈艦隊派主導によって行われた、条約派追放人事〉により中将でありながら予備役に編入された。山本五十六は、堀の失脚に強く抵抗したが、力及ばなかった。この時、山本は「海軍の前途は真に寒心の至なり。如比(かくのごとき)人事が行はるる今日の海軍に対し、之が救済の為努力するも到底六(むつ)かしと思はる。」「巡洋艦戦隊の一隊と一人の堀悌吉と、海軍にとってどっちが大切なんだ」と嘆き、自らも海軍を退くことを考えたという。しかし堀は山本を励まし思いとどまらせた。

 東條内閣の海軍大臣・嶋田が「日米開戦時の時期に堀などが海軍大臣として在任したとすれば、もっと適切に時局を処理したのではないか」と述べているように、その才幹を惜しまれた人物である。また『戦争自体は悪である』との持論であった。軍備は、戦争をしない為に抑止力として保持するという考えだ。

 昭和5年のロンドン海軍軍縮会議において、補助艦の比率は米英に対し7割は必要という艦隊派の意見が海軍部内では根強かった。軍務局長であった堀は、英米に対しては不戦が望ましいという意見をもち、会議を成立させるべきという立場で次官で条約派の山梨を補佐した。結局は米国と日本の妥協が成立し、日本は対米比6割9分7厘5毛でロンドン海軍軍縮条約に調印した。

 しかし艦隊派が台頭する海軍内で堀の立場は弱くなり、海軍中央から遠ざけられることになった。第3戦隊司令官、第1戦隊司令官を歴任し海軍中将に進級したが、失脚する。この頃に山本五十六は、第二次ロンドン海軍軍縮会議予備交渉の海軍側首席代表として日本を離れていたが、堀や山本が理想とした軍縮・戦争回避・平和路線は、本国の海軍軍令部に却下されたのだった。

 こうして昭和11年、政府は堀が尽力したロンドン海軍軍縮条約からの脱退を通告する。日本は太平洋戦争の一因にもなった無制限軍備拡張の時代に突入したのだ。海軍の言い分は『この条約を締結することは天皇が持っている統帥権を侵害している!これは憲法違反だ!』と反対した。所謂(いわゆる)統帥権干犯(かんぱん)問題だ。

 特記・堀のような不戦論者・平和主義者も軍部の中枢にいた事はいたのだ。

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山本五十六(左)と堀悌吉(右)

第194話 山本五十六の「やってみせ」

序文・日米開戦回避だったが・・・男の修行

                               堀口尚次

 

 山本五十六は、海軍軍人で最終階級は元帥海軍大将。第26、27代連合艦隊司令長官。日本が真珠湾攻撃で、対米戦争の火蓋を切った時の総責任者。

 山本は連合艦隊司令長官に任官されることを拒み、吉田善吾が海軍大臣に内定された際、吉田の下で次官として留まり日米開戦を回避出来るように補佐する事を要望して、米内光政・海軍大将に人事の撤回を強く要求したが認められなかった。連合艦隊司令長官就任は采配・指揮能力を買われたものではなく、三国同盟に強硬に反対する山本が、当時の軍部内に存在した三国同盟賛成派勢力や右翼勢力により暗殺される可能性を米内が危惧し、一時的に海軍中央から遠ざけるためにこの人事を行った。

 日米開戦前には、近衛文麿総理大臣に対し以下の様に語っている。

「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」と、山本はどこまでも開戦反対の姿勢を保っていた。真珠湾攻撃の直前まで、「日米交渉がまとまり和平の道が開けたら、直ちに帰還するように」と命令していたが、そんな山本の心中とは裏腹に、運命は日米開戦へと動き出したのだ。そして山本はその先頭で指揮を執るという連合艦隊司令長官の重責を担う事となった。

 前線を視察中の山本は、ガダルカナル島から搭乗した際に、アメリカ軍戦闘機に撃墜され戦死した。山本の行動は、暗号解読に成功していたアメリカ軍の把握することとなっていた。アメリカ側には、山本のような日本に於いての有名人を殺害することは、日本国内に政治的反動〈山本殺害による対米憎悪の増大や、それに伴う戦意の高揚〉を引き起こす懸念もあり、慎重になる必要があった。そこで、太平洋艦隊司令長官は先にルージベルト大統領の許可をとった上で、最終的な命令を司令官に下した。

 『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、 任せてやらねば、人は育たず。』 やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。は、山本の格言として有名である。これは上杉鷹山の「してみせて 言って聞かせて させてみる」から影響を受けているとされる。「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」という『男の修行』は経営者や指導者のための格言になっている。

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第193話 エンジンの仕組と種類

序文・近未来にはなくなってしまうのかなぁ

                               堀口尚次

 

 自動車はどうやってタイヤを回転させ、前に進んで行くのだろう?この疑問を解決する為に、一生懸命調べてみました。エンジンがあるから、ピストンを動かしてタイヤを回転させているのだという事ぐらいは分っていましたが、ピストンの仕組が今一つ分っていませんでした。

 最初は、ピストンの上下運動を、どうやってタイヤの回転運動に変えているんだろう?からスタートしました。蒸気機関車のイメージだとピストンは線路と平行方向にある意味上下運動をし、直接車輪に回転運動を与えているが、自動車は違う。自動車は、ピストンの上下運動を、クランクシャフトを通じて回転運動に変えていました。エンジンは、殆んどの自動車の前方にあるのでピストンの上下運動が、直接にタイヤの回転運動へ転化するためにも、前輪駆動であるほうが効率が良いと思いました。

 次にピストンの仕組みですが、これは複雑で、①吸気・②圧縮・③燃焼・④排気を一行程として、その間にピストンが2往復〈2回の上下運動〉し、クランクシャフトが2回転することが分りました。但し、これはガソリンエンジンの場合と、ジーゼルエンジンの場合には違いがあり、ガソリンエンジンの場合は、①吸気の時に、空気と燃料・ガソリンをピストン内に取り込むのに対して、ディーゼルエンジンでは、空気だげを取り込みます。また、②圧縮の時では、ガソリンエンジンの場合は、点火プラグで点火〈ガソリンを含んで圧縮された空気=混合気 の燃焼〉するのに対して、ディーゼルエンジンでは、圧縮されて高温になった空気に直接燃料・軽油を噴射して燃焼させています。よってディーゼルエンジンには、点火プラグがありません。いずれも燃焼エネルギーをピストンの上下運動に変えている点では同じです。

 自動車のスピードメーターの横に付いているタコメーターは、エンジンの回転数を示すもので、回転計が1000rpm が表示されている場合は、①から④の行程を1秒間に8回程度も行っているようです。若い頃ミッション車に乗っていた時に「レードゾーンまで引っ張ってやれ!」なんてやってたけど、エンジンにとんでもない負担をかけていたんだなぁ~(泣・笑)

 更に、エンジンには、オートバイの単気筒〈ピストン1つ〉や直列4気筒・6気筒や水平対向型〈ピストンが地面と平行に運動〉やV型〈文字通りピストンが左右に別れている〉など様々な形式がある。それぞれに、長所や短所があり、自動車メーカーがしのぎを削って開発競争をしているようです。余談だが、戦闘機のゼロ戦は、ピストンが放射状に並んだ〈空冷復列星型〉14気筒だ。

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第192話 敵基地攻撃能力と専守防衛の矛盾点

序文・憲法は解釈によって違ってくる

                               堀口尚次

 

 敵基地攻撃能力とは、弾道ミサイルの発射基地など敵国の基地や拠点などを攻撃する装備能力のこと。

 敵基地攻撃能力を保有するべきと主張する論者が根拠とするのが、1956年に出された鳩山一郎首相の次の答弁である。

『わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います。

 しかし、この問題は日本が戦後長く続けてきた「専守防衛」の理念とも絡み、政府内も一枚岩ではない。「専守防衛」とは、日本国憲法第9条2項による戦力不保持の理念と、現に自衛隊が存在する現実とのせめぎあいの間で生まれた概念で、日米安全保障条約のもとで、日本側は守りの「盾」に徹し、在日米軍が攻撃の「矛」を担うとするものである。これに基づいて日本は長い間、弾道ミサイルのような攻撃性の武器は保持しないとしてきた。

 たとえば、1970年に中国が核実験に成功し、北朝鮮弾道ミサイルを発射して緊張状態にあった時に、当時の中曽根康弘防衛庁長官はこう答弁した。

『明らかに日本の自衛行為や自衛力には限界があると思います。文民優位を徹底するということ、非攻撃性の装備でなければならない、徴兵を行なわない、海外出兵を行なわない、これらは日本国憲法の命ずるところであると解します。(中略)私は日本国憲法の命ずるところに従い、従来どおり専守防衛を目的とする日本独自の安全保障体制を整え平和憲法下における独立国家として当然行なうべき努力を遂行しようと思っております。』

 そして、相手が発射する前に探知し攻撃するのであれば、たとえ自衛のためだったとしても「先制攻撃はしない」としてきた従来の主張ともぶつかり合うこととなる

 これに対して『攻撃は最大の防御』とは「防御をする前に先手をうって攻撃を仕掛けることが一番の防御方法」という意味。「攻撃」を先に行えば「防御」する必要がなくなる。このことから、有効な防御方法とは、先手をうって「攻撃」する事と表現しているが、現状の日本国憲法ではこの「防御」は出来ない。

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第191話 懐かしい西部劇映画

序文・カウボーイ・ハットに憧れました

                               堀口尚次

 

 西部劇とは、19世紀後半のアメリカ合衆国の西部開拓時代に当時フロンティアと呼ばれた主にアメリカ西部の未開拓地を舞台にした映画です。南北戦争後のアメリカ西部を舞台に、開拓者魂を持つ白人を主人公に無法者や先住民と対決するというプロットが、白人がフロンティアを開拓したという開拓者精神と合致し、大きな人気を得て、アメリカ映画の1つのジャンルとして形成された。   

 私が小学生の頃、テレビで外国映画の西部劇にはまっていました。自分で脚本?・監督?をして、クラスで劇を披露した思い出もあります。

 『荒野の七人』は、日本の黒沢明監督の「七人の侍」をモチーフにしたという傑作でした。ユル・ブリンナースティーブ・マックイーンチャールズ・ブロンソンなど押しも押されぬ名優たちが目白押しのこの映画は、西部劇映画の金字塔といっても過言ではあるまい。マックイーンが放ったセリフで「服を脱いで突然サボテンに飛び乗った奴がいたんで、なんでそんなことするのか聞いたよ。そしたら『そん時はそれでいいと思った』だとよ。」とか、「ビルから真っ逆さまに落ちて行く奴に、大丈夫か!?と聞いたら『今のところわな』だとよ。」なんてのが好きだったなぁ~。

 『夕陽のガンマン』『荒野の用心棒』などのいわゆるマカロニ・ウェスタンというジャンル〈アメリカの西部劇映画をイタリアで制作した〉も流行りましたね。クリント・イーストウッドマカロニ・ウェスタンの大スターでした。小学生の小生は、ガンやガンベルト、カウボーイハットなんかを買って貰い、近所の悪ガキどもと西部劇ごっこをしたものです。このシリーズのテーマ曲〈口笛のメロディ~♪〉もヒットしてましたね。

 『荒野の1ドル銀貨ジュリアーノ・ジェンマ主演も秀作でした。胸ポケットの1ドル銀貨に、拳銃の弾丸が当たって、命が助かったというものすごい設定だったが、当時は「スゲ~!!」と感嘆していたのです。

 『リオブラボー』も個人的に大好きです。保安官とアルコール中毒の見習い保安官とがくりなす物語でしたが、テーマ曲になった、トランペットの音色とメロディが、おさな心にもジ~ンと来るのもがあり、まさか自分が大人になってアルコール中毒とまではいいませんが、しょっちゅう酔っ払いになるとは思いもしませんでした・・・。

 この他にも、『シェーン』『真昼の決闘』『駅馬車』『OK牧場の決斗』など色々ありましたね。ガッツ石松の「オッケーぼくじょう!」はここからきてるんですよね~(笑)

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