ホリショウのあれこれ文筆庫

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第432話 杉山参謀総長の遺書

序文・敗戦責任を痛感していた

                              堀口尚次

 

 杉山元(げん)は、大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将。陸軍士官学校卒業、陸軍大学校卒業。陸軍大臣教育総監、太平洋戦争開戦時の参謀総長陸軍大臣参謀総長教育総監陸軍三長官を全て経験し元帥にまでなったのは二人しかいない。敗戦後の9月12日に司令部にて拳銃自決。享年66。

 杉山は盧溝橋事件時の陸相、太平洋戦争開戦時の参謀総長であり、敗戦責任について痛感することが大きく、8月15日の段階で「御詫言上書」と題する遺書〈言上書〉をしたためていた。そして、この遺書は自決後の9月13日、昭和天皇の上聞に達した。全文は以下のとおりである。

 『大東亜戦争勃発以来三年八ヶ月有余、或(ある)は帷幄(いあく)〈大本営〉の幕僚長として、或は輔弼(ほひつ)〈天皇に助言する〉大臣として、皇軍の要職を辱(かたじけな)ふし、忠勇なる将兵の奮闘、熱誠なる国民の尽忠(じんちゅう)に拘(かかわ)らず、小官(しょうかん)の不敏不徳(ふちふとく)能く其の責を全うし得ず、遂に聖戦の目的を達し得ずして戦争終結の止むなきに至り、数百万の将兵を損し、巨億の国幣を費し、家を焼き、家財を失ふ、皇国開闢(かいびゃく)以来未だ嘗(かつ)て見ざる難局に擠(お)し、国体の護持亦(また)容易ならざるものありて、痛く宸襟(しんきん)〈天皇の心〉を悩まし奉り、恐惶恐懼(きょうこうきょうく)為す所を知らず。其の罪万死するも及ばず。謹(つつし)みて大罪を御詫申上ぐるの微誠(びせい)を捧ぐるとともに、御竜体の愈々(いよいよ)御康寧(ごこうねい)と皇国再興の日の速ならんことを御祈申上ぐ。』

 終戦後、9月に入ってから司令官室でピストル自決したが、この際にも彼らしいエピソードを残した。彼は終戦後もすぐに自決せず、終戦直後に療養先から自宅に戻ってきた妻に「自決すべき」と迫られたとされる。既に「御詫言上書」は終戦の日に書き上げて自決の覚悟もしていたようだが、これを妻に明かしたのは23日になってからであった。終戦処理を終えた後、9月12日朝、部下から拳銃を受け取った後自室に入った彼は、暫くして突然ドアを開き緊張してドアの外で待っていた第53軍高級参謀・田中大佐に「おい、弾が出ないよ」ととぼけて言った。田中大佐が安全装置を外してやるとそのまま部屋に再び入り、胸を4発拳銃で撃ち抜き従容と自決したという。この自決の報を自宅で聞いた夫人は「息を引き取ったのは間違いありませんか?」と確認した後、正装に着替え仏前で青酸カリを飲み、短刀で胸を突き刺し自決して夫の後を追った。