ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1129話 佐渡金山・負の側面

序文・この世の地獄

                               堀口尚次

 

 佐渡島に位置する佐渡金山、または佐渡金銀山は、新潟県にある金鉱山・銀行山の総称である。なかでも相川金銀山の規模が特に大きく、単に「佐渡金山」という場合、相川のものを指す場合もある。

 江戸時代後期からは江戸大阪などの無宿人〈浮浪者強制連行されてきて過酷な労働を強いられたが、これは見せしめの意味合いが強かったと言われる。無宿人は主に水替人足の補充に充てられたが、これは海抜下に坑道を伸ばしたため、大量の湧き水で開発がままならなくなっていたためである。

 水替人足の労働は極めて過酷で、「佐渡の金山この世の地獄、登る梯子はみな剣」と謳われた。江戸の無宿者はこの佐渡御用を何より恐れたといわれる。水替人足の収容する小屋は銀山間の山奥の谷間にあり、外界との交通は遮断され、逃走を防いでいた。小屋場では差配人や小屋頭などが監督を行い、その残忍さは牢獄以上で、期限はなく死ぬまで重労働が課せられた

 昭和14年佐渡金山を経営する三菱鉱業株式会社佐渡鉱業所は、日本人労働者の不足を補うため、初めて朝鮮半島で労働者を募集した。募集地域では、1村落20人の募集割当てに対して約40人の応募が殺到するほど人気があった。これは前年の昭和13年に南鮮で大干ばつ、飢饉が発生し、困窮した農民が多かったからと考えられている。

 しかし、応募者の多くは実際には鉱山での就労を希望したわけではなく、従前に自由渡航した先輩や知人を頼って内地で暮らすことを望んだためであり、下関や大阪に到着するとすぐに逃亡する者も多かった。昭和20年の最後の募集までの間に、佐渡鉱山には合計1,200人の朝鮮人労働者が来たとされる。また朝鮮人労働者は日本人労働者より待遇面で不利であることが多かった。

 平成19年に文化庁世界遺産候補地を公募した際に「金と銀の島、佐渡-鉱山とその文化-」として立候補、選考を経て2010年10月に「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」としてユネスコ世界遺産センターの暫定リストに掲載された。

 韓国政府は佐渡金山について「韓国人の強制労働の被害現場」と主張し、申請に強く反対している。2024年7月27日、ユネスコ世界遺産委員会は、「佐渡島の金山」の世界文化遺産登録を決めた。