ホリショウのあれこれ文筆庫

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第930話 鬼平犯科帳のモデル「長谷川宣以」

序文・人足寄場創設

                               堀口尚次

 

 長谷川宣以(のぶため)は、江戸時代中期の旗本。寛政の改革期に火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)を務め、人足寄場を創設した。通称は平蔵。

 長谷川平蔵の名は、池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』の主人公「鬼平」として、日本の時代小説・時代劇ファンに知られている。

 天明7年9月9日、42歳の時に宣以は定信の人事で先手頭の中から冬期に限って兼務を命じられる火付盗賊改方の当分加役となり、翌年8年4月に加役を免じられた後、同年10月、先手頭1名が通年で兼務する本役の火付盗賊改方加役となった。『よしの冊子』〈松平定信の家臣・水野為長が、世情を定信に伝えるために記録した風聞書〉によると、宣以の評判は悪く「長谷川宣以のようなものを、なんで加役に仰せ付けるのか」と同僚の旗本たちは口々に不満を訴えたという。

 宣以は部下の与力や同心達に厭(いと)わず酒食を与え、町方の者が盗賊を連れてくれば気前よく蕎麦などを振舞った。庶民からは「本所の平蔵さま」「今大岡」と呼ばれ、非常に人気があった。「よしの冊子」には当時のことを長谷川は、さして評判がよくなかったが町方で受けがよく、定信も「平蔵ならば」と言うようになったと書かれている。

 宣以は、寛政元年4月、関八州を荒らしまわっていた大盗、神道〈真刀・神稲〉徳次郎一味を一網打尽にし、その勇名を天下に響き渡らせる。また、寛政3年には、江戸市中で強盗および婦女暴行を繰り返していた凶悪盗賊団の首領・葵小僧を逮捕、斬首した。逮捕後わずか10日という異例の速さで処刑している。

 寛政元年、老中・松平定信人足寄場設置を建言し認められ寄場建設運営の指揮を執り、江戸石川島に収容所を設け、無宿人・刑期を終えた浮浪人などに大工・建具・塗物などの技術を修得させ、その更生をはかった。

 宣以町奉行になることを望んでおり、寛政3年、町奉行が空席になると宣以が下馬評にあがったが最終的に別の者が奉行になった。宣以が奉行になれなかった理由は番方の先手頭の兼職である火付盗賊改から町奉行になるという先例がなく、町奉行になるための慣例である目付を務めた経験もなかったからだった。宣以はどれだけ出精しても出世できないことを愚痴り、「越中殿〈定信〉の信頼だけが心の支え」と勤務に励んでいたという。