ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第79話 警視庁・警察庁・検察庁の違い

序文・警察官と検察官は、発音は一文字しか違わないけど、全く違います。

                               堀口尚次

 

 警視庁は、東京都の警察本部。各都道府県のトップが警察本部長なのに対して、警視庁だけは警視総監という。

 警察庁は、行政機関の一つで、国家公安委員会の特別機関である。トップは警察庁長官になるが、他の省の事務次官に相当する。この警察庁長官には、いわゆる階級が存在しない不思議な建て付けになっている。勿論、警視庁のトップである警視総監より上の立場になる。

 検察庁も、行政機関の一つで、法務省の特別機関である。トップは検事総長になる。検察庁は、各裁判所に対して置かれ、政治からの一定の独立性を保持しており、法の正義に従った職能の行使が期待される。政治的に任命される法務大臣は、行政機関たる検察庁を擁(よう)する法務省の長であることから、下部機関である各検察官に対し指揮する権限を有するとも解(かい)しうるところ、公訴(こうそ)権=特定の刑事事件について裁判所に審判を申し立てる権限・権利 の行使に対する不当な政治的介入を防止する観点から、検察庁法において、具体的事案に対する指揮権の発動は検事総長を通じてのみ行い得るとの制限が規定されており、法務大臣が特定の事件に関して直接に特定の検察官に対し指揮をすることは認められていない。

 検察官はそれぞれが検察権を行使する独任制官庁であるから、検察庁は検察官の事務を統括する官署にすぎない。また、日本のように公訴権を独占する検察官の裁量により、犯人であることが明らかであっても起訴しないことが出来る制度を、起訴便宜主義と呼ぶ。

 検察官は、例外を除き起訴権限を独占する(国家訴追主義)という極めて強大な権限を有し、刑事司法に大きな影響を及ぼしているため、政治的な圧力を不当に受けない様に、ある程度の独立性が認められている。端的なものが、先に記した法務大臣による指揮権の制限である。当然ながら、検察庁は、司法権立法権・行政権の三権の内、行政権を持つ行政に帰属する官庁であるが、国民の権利保持の観点から、俗に準司法機関とも呼称されている。

 政治家の犯罪を暴くのも検察官の役目だが、法務省のトップが政治家であり、その上が内閣総理大臣となると、検察官の独立性が保たれない限り犯罪が暴けない。だから法務大臣指揮権発動は極めて慎重に取り扱わなければならない。

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第78話 先輩の背中

序文・今でも鮮明に覚えている、先輩の立ち振る舞い。

                               堀口尚次

 

 私が会社に入社したての頃は、仕事に忙殺され、来る日も来る日も残業の嵐だった。しかしながら、部署によっては、涼しい顔をして退社して行く人もおり、新入社員ながら「この会社には助け合いとかないのか!?」と思ったものだ。気の知れた先輩との飲み会では、愚痴ってばかりいた。

 そんなある日、直属の上司と面談になり、溜(た)まった鬱憤(うっぷん)と思いの丈(たけ)をぶちまけてみた。私は内心では、よくぞここまで言った、上司も私の頑張りを認めて褒めてくれるまでいかなくても、慰めてくれるだろうと思っていた。ところがその上司は、開口一番「わかった、じゃあ会社辞めろ。」と言い捨てたのだ。私は一瞬、後頭部を棍棒(こんぼう)で殴打(おうだ)されたかの錯覚に陥(おちい)ったが、若気(わかげ)の至りだったのか、負けじと「上司の指導力・統率力批判」じみた内容で応戦した。それを黙って聞いていた上司は「わかった、わかった、じゃあお前が早く出世して、今の俺の立場になれ。」と諭(さと)されてしまった。

 また、別の日には、もっと偉い上司と面談する機会があったので、私が担当していた、理不尽で非効率な仕事などの疑問点を直訴(じきそ)したが、「君が無意味だと思っている仕事にも、訳があるからやらせている、辛抱してやりなさい。」的に返り討ちに合ってしまった。

 そんなこんなで悶々(もんもん)とする日々を送っていたが、仕事は相変わらず山の様にあり、前にも増して目の前の仕事に謀殺されての残業の毎日だった。

 ところが残業していたある日、なんか見慣れない人がいるなあと思っていたら、他部署の先輩が私の仕事を手伝ってくれていたのだ。それも、私には声も掛けずに黙々と。先輩の部署の仕事はもう終わって、帰って行く姿を確認している。私は、その先輩に「もうタイムカード押したんですよね・・・」と尋ねると、その先輩は「うん、もう押したよ。でも大変そうだったから手伝うよ」と言ってくれたのだ。そしてかなりの時間手伝ってくれてから、何も言わずに静かに帰って行ったのだ。

 私は次の日から、会社の愚痴を言うのを止めた。一生懸命やっていれば、きっと誰かが見ていてくれる。私もあの先輩の様な、かっこいい立ち振る舞いが出来る様に成りたいと思った。先輩ありがとうございました。眼が醒(さ)めました。

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※画像と本分内容とは関係ありません。 

第77話 「カチコチの正義感」と「臨機応変」

序文・チコちゃんじゃないけど「ボ~と生きてんじゃないよ~!」ってか?

                               堀口尚次

 

 正義とか道徳について綴ってきたが、違う側面から感じたこ事があった。

 嫁さんの誕生日プレゼントに、娘とケーキを買いに行った時に起きた。その店は「シャトレーゼ」と云う有名なお菓子・スイーツの専門店で、おりしも前日にテレビで取り上げられた事も相まって、当日は駐車場が満員で入れない程だった。それでも私達は「嫁さんの希望ケーキを獲得する」というい任務遂行の為に諦める選択肢は無く、違う用事を挟んで時間稼ぎの作戦に打って出た。

 程なくして再度来店するも、まだ駐車場は満杯だったが、なんとか滑り込む事が出来た。店内も満員で、レジにはなんと20人程度の列が発生していた。洋菓子の幾つかをカゴに入れて長蛇の列に加わった。お目当てのガラスケースの中のケーキは、レジの清算時に注文するしかないと思っていた。ところが、並んでいる時に気が付いたのだが、ガラスケース内のケーキは、始めに注文をして、その注文番号札を受け取ってから列に並ぶ仕組みだったのだ。その事に気が付いた時はもう列が半分位進んでおり、今から列を出て注文番号札を受け取っていたら、また長蛇の列の一番後ろになってしまうので、流石(さすが)に諦めた。

 そうこうしてる内に、レジの順番がきたので、先程の経緯を話したら、店員さんがなんと「少しすいてきましたし、他のお客さんには分らない様に、私の判断でガラスケースのケーキとりますよ」って言ってくれるではないか!なんと臨機応変な対応だろうと感心しているのも束の間。娘が「いりません」と言ってしまったのだ。店を出てから娘に問うと「みんな並んでるだから、インチキになるからダメ!」との事。私はぐうのねも出なかったが、堅苦しい事言うんだなあと思った。こちらから、レジで「仕組みを知らなかたんで何とかしてくれ」と懇願する行為は、私も頂けないと思うが、「買えなくて残念でした」と遜(へりくだ)って言った事に対して、店側が臨機応変神対応してくたのだから、逆に受けなければ店側の恥とはいわないが、商売上の機会損失にもなる。私は、娘を責める事はしなかったが、「このカチコチの正義感はどこからきたんだろう?」と思った。ただ、「世の中に出て行くと、杓子定規ではギクシャクしちゃうので臨機応変に対応していく事も必要かもね。」と言っといた。娘は納得していない様子だったが、私にとっては貴重な体験が出来た日だったのでした。

ちなみに嫁さんのケーキは代用品で事無きを得ました。クワバラクワバラ~。

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第76話 人の振り見て我が振り直せ

序文・鶴田浩二が生きていたら、歌って欲しかった。

                               堀口尚次

 

 娘が小学生だった頃、金管バンド(小学校の吹奏楽)の発表会が、市内の別の小学校で開かれることになり、車で出掛けたが、事前の通達で「駐車場が無い為、元浜公園の駐車場(歩いて10分弱)へ止めて下さい。学校廻りの公道へは路上駐車しないで下さい。」旨があったので従ったが、なんと小学校廻りの公道にズラーと駐車されているではないか。嗚呼・・・。私は情けなくなったが、娘に対しては「お父さん達は間違ってないよね」と胸を張ったのを覚えている。純真無垢な子供達の大切な音楽会が、穢(けが)れた大人達のエゴで台無しにされた気分だった。「自分さえ良ければ思想」は誰にでもあろう。所詮、弱虫で煩悩だらけの人間なのだから仕方のないこともある。しかし、せめて子供の教育現場に直結している場所での所業(しょぎょう)は慎むべきだろう。

 また過日、同僚がほぼ毎日犬の散歩をしているという話になり「排便処理も大変だね」と労(ねぎら)うと、「処理用のビニール袋はぶら下げてるけど、カモフラージュで持ってるだけだよ」と宣(のたま)いよった。嗚呼・・・。この国の道徳心は何処へ行ってしまったんだろう。私はけして、青臭い事が言いたいんじゃないけど、せめてその事実(カモフラージュの実態)は、自分の心の中に仕舞っておいてほしかった。そして反省して以後は改心して行動してほしかったが、無理だろうな。

 更に、衝撃的だった出来事がある。会社の同僚が結婚することになり、恒例だった「結婚祝儀」として、一人500円を回収することになったが、「そんな事を会社に強制されるのはおかしい」として拒否する輩が現れたのだ。これだけでも、驚き桃の木山椒の木なのだが、更に、この世を震撼させる出来事が後日起きた。新婚旅行から戻った同僚が、みんなにお土産(ボールペン)を配る事になり、新婚の同僚も、祝儀を拒否した人だけお土産無しと云うのも心が狭いと思われたくなかったのか、全員に配り終え、祝儀拒否をした本人は受け取っているのだ。物事の筋としては、そのお土産は辞退するものでしょう。嗚呼・・・。

私はその時、鶴田浩二の「傷だらけの人生」が頭を過(よぎ)った。「何から何まで真っ暗闇よ、筋の通らぬ事ばかり。右を向いても左を見ても、馬鹿と阿呆の絡み合い、どこに男の夢がある。」と思わず口遊(くちずさ)むところだった。

勿論、渡世人(とせいにん)でない私は歌う事は出来ませんが流石に笑えもしなかった。

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第75話 忠臣蔵

序文・「忠臣」の大石内「蔵」助。

                               堀口尚次

 

 「第74話 江戸時代の身分制度と家格」でも取り上げた「忠臣蔵」について詳しく綴(つづ)りたい。

 赤穂(あこう)藩は、播磨国(はりまのくに)赤穂郡(現在の兵庫県赤穂市)にあり、藩主の「浅野内匠頭(たくみのかみ)長矩(ながのり)」は、五万石(ごまんごく)の外様(とざま)大名だ。

 対する「吉良(きら)上野介(こうずけのすけ)義央(よしひさ)」は、旗本(はたもと)の高家(こうけ)=儀式や典礼を司る役職 の中でも特に格式のある高家肝煎(こうけきもいり)であり、四千二百石ながら従四位上(じゅしいのじょう)左近衛(さこんえ)権(ごん)少将だった。これは、私風に現代に置き換えれば、「地方の県知事」と「中央官庁・宮内庁あたりの長官」との関係にあたろうか。

 吉良は、浅野に対して「田舎大名」と愚弄(ぐろう)したとされるが、吉良も三河国(現在の愛知県西尾市、旧幡豆郡吉良町)に所領を持つが、代官を派遣しており本人は江戸定府(じょうふ)である。

 浅野は、勅使(ちょくし)饗応役(きょうおうやく)=朝廷が派遣してきた使者を接待する役目 に就いた。将軍は、正月に年賀の挨拶として高家らを朝廷に派遣しており、その返礼として朝廷から、勅使がやって来るが、この対応係が勅使饗応役である。

 勅使の対応には莫大な予算がかかることから、幕府は余計な蓄財をさせない意味で外様大名ばかりを任命したのだが、武骨な大名が一人で務めて天皇上皇の使者に対して無礼があったりしてもいけないので、対応役の大名には朝廷への礼儀作法に通じた高家肝煎が指南役(口添え役とも)につくのが決まりであった。対応役の大名はこの高家に対しても指南料として高価な進物を贈らねばならなかった。

 こうして浅野には、吉良が指南役となったが、当時の文献には吉良が暗に賄賂を要求したが、浅野が十分な賄賂を送らなかったことが両者の不和の原因だとするものがある。こうして、浅野を田舎大名と馬鹿にする吉良は、浅野に意地悪ばかりをしたのである。まるで子供の喧嘩である。

 挙句(あげく)、浅野は殿中(でんちゅう)に於いて刃傷(にんじょう)に至るという、暴挙(乱心とみなされた)に出たが、この事が「お家取り潰し」である事は周知の事であり、暴君と云わざるを得ない。五万石の大名の仕業(しわざ)ではない。忠義の意味での忠臣蔵は分るが、浅野内匠頭の行動は頂けない。ただそれだけに、浅野が如何に無念に切腹したのかが慮(おもんばか)れる。それを現しているのが有名な辞世の句「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春のなごりを いかにとやせん」だ。現代文にすれば「風に吹かれ散っていく花も春を名残惜しいと思うが、もう二度と見ることのない春を名残惜しく思う私はどうすればいいのだろうか」といったところだろうか。

 武士というものが、如何に格式や見栄に拘(こだわ)り、大名という自分の立場までも忘却してしう程の役目を、仰せつかっていたのだろうか。

 その後、城代(じょうだい)(筆頭家老)の大石内臓助(くらのすけ)が四十七士を伴って、仇討ちを成功させるのだが、この史実は、物語となって「書物」や「映画」「テレビドラマ」等で頻繁に扱われたが、私は1958年の大映映画「忠臣蔵」を押したい。その中で特に印象に残る場面に「垣見五郎兵衛との問答」がある。
 調達した武器を、仇討ち決行のために輸送しなければいけない大石らは、江戸へ下向中、天下法度の道具を運ぶので関所でとがめられる恐れがあるから、「日野家=公家 の名代(みょうだい)で垣見五郎兵衛という人物が禁裏(きんり)=御所 御用のために京都から江戸へ下る」という情報を元に、悪いこととは知りながらこの輸送係の垣見の名を語ることにする。本物の輸送ルートを中山道だろうと予測して、自分たちは東海道を下ったが、運悪く神奈川宿で本物の垣見の道中と出くわす。宿の表に「垣見五郎兵衛御宿」という看板を発見しておどろいたのは本物の垣見五郎兵衛。彼は最初、自分の名を語る不届きなやつと部屋に踏み込むが、迎えた大石も「我こそが垣見五郎兵衛」とゆずらない。混乱する垣見だが、すぐに目の前の人物を主君の仇討ちをせんとする赤穂浪士と察し、心の中で「それならそうと言ってくれれば便宜もはかったし、さぞ心を痛めたであろう。なんで通さでなるものか」という同情と応援の気持ちから、自分のほうがニセモノだと詫びる。意外な展開にビックリする大石。その上「これは私の偽造品です。処分してください」と言って本物の通行手形を大石にくれる。まさかの厚意に、ふすまの向こうで控えてる浪士たちも両手を合わせたり土下座して感泣する。この時に大石が垣見に対し「武士は相見(あいみ)互い=御互い様、よくよくのご事情があってのこととお察し申す。落ちぶれてこそ人の世の情けが身に沁みるもの」と云う、この場面は落涙を禁じ得ない。

 また、仇討ちを迫る亡き殿の奥方に対して「仇討ちの意志は毛頭ない」と答える大石だったが、これは仇討ちの情報が洩れる事を間者(かんじゃ)=敵のスパイ などの気配から感じ取っての言動であり、忠義心が無い事を咎(とが)められて奥方邸を後にした大石だったが、奥方は、大石が置いて云った巻物が「仇討ちの血判状」だった事を知り「大石、許してたもれ」という場面も泣ける。涙腺弱いです。

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第74話 江戸時代の身分制度と家格

序文・身分制度はどのように細分化されたのか、調べてみました。

                               堀口尚次

 

 「士(武士)・農(百姓)・工(職人)・商(商人)・穢多(えた)・非人」と習いましたが、公家と僧侶・神官や医者などが抜け落ちている。「士」は支配身分、「農」は農民(漁業や林業も含まれる)、「工・商」は町民、「穢多・非人」は賤民(せんみん)として区別された。

 「武士」は、「侍」「徒士(かち)(騎乗が許されない)」「足軽(騎乗も主君との対面が許されない)」に大別され、「侍」は、いわゆる殿様と呼ばれる「大名(藩主・石高1万石以上)・旗本(将軍直参(じきさん)で御目見得(おめみえ)以上=将軍に直接お目通りできる)」

を上級武士とし、「藩の重役(家老など)」や「将軍直参の御家人(ごけにん)(御目見得以下)」「陪臣の大名や旗本の家臣」と続く。

 「百姓」は、「名主(なぬし)=関西では庄屋 (村の最高責任者)」「組頭(名主の補佐役)」「百姓代(百姓の代表者)」「本百姓(自分の農地を持つ)」「水のみ百姓(他人の農地を借りる)」と細分化されていた。

 「職人・商人=町民」は、「家持(家屋敷を所有して店を構える)」「地主(家屋敷を所有して人に貸し出す)」が裕福とされた。

 「穢多」は、斃(たおれ)牛馬(ぎゅうば)(「屠殺(とさつ)」は禁止されていた)の処理と獣皮の加工や、また革製品の製造販売などの皮革関係の仕事(これらは武士の直属職人という位置づけもあった)、刑吏(けいり)=刑を執行する人・捕吏(ほり)=罪人をめしとる人・番太(ばんた)=警察機構の末端・山番(やまばん)=山林の番人・水番(みずばん)=灌漑用水の見張り役 などの下級官僚的な仕事、祭礼などでの「清め」役や各種芸能ものの支配(芸人・芸能人を含む)、草履・雪駄作りとその販売、灯心などの製造販売、筬(おさ)(高度な専門的技術を要する織機の部品)の製造販売・竹細工の製造販売など、多様な職業を家業として独占していた。

 「非人」は、「犬神人(いぬじんにん)=神社境内や御幸路の死穢(しえ)=死の穢れ の清掃人」「墓守」「河原者=乞食」「放免(ほうめん)=犯罪者の探索・捕縛・拷問・獄守を担当」「乞胸(ごうむね)=大道芸」「猿飼(さるかい)=さるまわし」「八瀬童子(はせどうじ)=延暦寺の雑役や輿(こし)を担ぐ役」等々の生業(なりわい)からくる総称である。具体的には、罪人・世捨て人・乞食・ハンセン病患者など、多様な人々を含む。基本的な職掌(しきしょう)=役目 は物乞いだが、検非違使(けびいし)=警察機構 の下で掃除・刑吏も担当したほか、街角の清掃や「門付(かどつけ)」などの芸能、長吏(ちょうり)=役人 の下役として警備や刑死者の埋葬、病気になった入牢者や少年囚人の世話などにも従事した。また、武装して戦うことや葬送地の管理権を持っており、為政者から施行(せぎょう)=ほどこし を受ける権利も有した。

 上記で分かるように、「穢多」と「非人」で重なる部分がある。ひとくくりでは「賤民」であり、線引きが難しい場合もあったようだ。特に、地方によってこの色合いに差が生じたようだ。

 また、武士というものは、階級・序列を重んじ、格式や見栄の世界に生きた。特に大名の家格では、御三家の「大廊下」、「溜間(たまりのま)」、国主大名=当時の行政区分である国を治めた藩主 の「大広間」、譜代大名などの「帝鑑間(ていかんのま)」、「柳間」、「雁間(かりのま)」、外様大名の「柳間」、「菊間」など、将軍との親疎(しんそ)=親しい事と疎遠な事 や、大名の有する家系の由緒や知行する石高によって、参勤交代による江戸城登城の際にあてがわれる部屋が区別された。さらに「四品叙任(しほんじょにん)=朝廷から賜(たまわ)る位階」などの「官位任官=朝廷から賜る官職名」や、「賜諱(しき)=将軍から名前の一字を賜る」をはじめとするあらゆる処遇が階層化されていた。

 幕府の直属家臣たる旗本・御家人の場合では、上級旗本は官位を与えられ重職に任ぜられたのに対し、中堅・下級旗本は無位無官の上、低い役職に補せられた。さらに、旗本には将軍謁見を許されたのに対し、御家人は許されなかったなど、幕府の直臣の間でも細かい家格が定められた。さらに、諸藩に至っては家老以下の役職は世襲化され、藩士内で家格が階層化されていた他、正規の家臣たる上士と藩の支配地に在住する土着の武士や有力百姓により構成された郷士という身分が形成され、大名の領地においても家格により強い身分統制が敷かれた。

 また、農村においても家格は存在した。村役人となる者の多くが中世の武士の血筋を引いており、郷士としての資格を認められている者が多かった。他、領主に対する忠勤や献金などによって名字帯刀の特権が与えられている場合も存在した。だが、それは同時に村の内部に「本家と分家」「侍分と百姓分」「主家と被官(ひかん)=隷属(れいぞく)農民」など様々な呼称を持つ家格を生み出すことになった。

郷士や村役人、「草分け=最初に土地を開拓し村落を作った者」と呼ばれる家々が地域の上級家格を編成して、村の祭祀の中枢機能を持った「宮座(みやざ)=神職でないが祭礼を取り仕切った」の参加資格あるいは幹部への就任資格を規定した。これに対して分家して新たに成立した家や何らかの事情で他の地域から移住してきた家などは低い家格に置かれることが多かった。

 こうして江戸時代は、身分制度と家格によって、複雑にまた厳格に人間を区分けしていた。封建制度下とはいえ、よく考えられていたと思う。但し、このことが、あらゆる差別や偏見の温床になったことは、悲しむべき歴史であると思う。人間社会に付きまとうであろう、身分(立場)と区分(差別ではない)。勿論、江戸時代の負の遺産などは、受け継ぐ必要はないが、文化としての側面は、継承し伝承する必要があると思う。

 有名な「忠臣蔵」の、浅野内匠頭(たくみのかみ)が江戸城の殿中で抜刀したのも、元はといえば、格式を重んじる大名同志のやり取りを発端としている。また、一方的に大名の内匠頭に、即日切腹を申し渡すなどは、身分制度以外の何物でもない。城代家老大石内蔵助は「仇討ち」を成就(じょうじゅ)するが、これは身分制度を超越した行為であり、当然に赤穂の四十七士は自尽(じじん)して果てるが、江戸時代の雁字搦(がんじがら)めの身分制度の中での出来事であった事からも、より一層、後世に語り継がれる事となったのであろう。

 武士の忠心は、命に代えても尽くされるものであり、これを以(もっ)て「武士道」があるが、この思想こそが「身分制度」が生み出したものであり、逆に「武士の美学」として、文化として継承されるべきものだと思う。

 「仇討ち」を美化するのではなく、「主君の報恩に報いる」という事だと思う。

 今回、「身分制度」と「家格」を勉強していたら、どうしても「忠臣蔵」の事を関連付けて書きたくなってしまった。

 文章が脱線したむきが否めませんが、どうぞご容赦下さい。長文のご愛読、誠にありがとうございました。

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第73話 マナーとデリカシーについて

序文・「忙しい」とは、心が亡んだ状態だと和尚から聞いた事がある。心がほろんだらおしまいだ。人間だもの。

                               堀口尚次

 

 よく「あいつはデリカシーがない」と云うが、デリカシーのない奴は、自覚症状も無い事が往々にしてあるので、救いようが無い場合が多いと思う。

 ところが、マナーが悪い輩(やから)は、確信犯が多いので始末に追えない。私はと云えば、自分では何方(どちら)も大丈夫だと思っているが、自覚症状がない事があるのかも知れないので注意したい。

 ところで先日、実家の親父を病院に連れて行った時に、立体駐車場で混んでたので3階まで上がる事になったが、親父は「空いている身障者スペース(車椅子マーク)に止めればいい」と云う。勿論親父は車椅子でも身障者でもない。私は断って正規の空いている場所に止めたが、そこから病院の入口へ向かうと、車椅子でもなく、どうみても健常者の人が、2台の車から、先ほど空いていた身障者スペースに車を止めて降りて来るではないか。親父は「ほらみろ、みんな止めとるに」と云ったが、私は開いた口が塞(ふさ)がらなかった。

 乗車中の車の中から、平気で車外にゴミ(空缶など)を捨てる輩、火の着いたままのタバコを捨てる輩もいる。こういう奴の中には、普段はそんな悪い人間でもなく大人しい性格の奴もいよう。ただ、走り去っていく車の中から、誰が捨てたのかわからないという状況に胡坐(あぐら)をかいて、そういう行為に出るという、正義感や誠意・真心の欠片(かけら)もない卑怯(ひきょう)な人間なのだろう。

 公共の場や人が集まっている場所で、大きな声でしゃべっている輩も、マナー違反だが、デリカシーがなく、「空気が読めない」連中なので困ったものだ。

 しかし、だれだって聖人君子じゃないし、体調が悪かったり、気分が落ち込んでいて、周りに気を使えない時もある。だから、せめて体調もよく、気分が良い時は、マナーを守り、デリカシーを以(もっ)て、空気を読んだ行動を心掛けたい。

 小学校で「道徳教育」があったが、実践できなければ意味がない。欧米では「宗教教育」として大人になっても自戒できる仕組みがある。日本の道徳教育は、文字通り「絵に描いた餅」であり、実践できている大人が示す事が、子供への教育となろう。道徳では解決できない事が宗教では解決できると云う。

 道徳では、電車で席を譲る事(譲ったという行動)を美徳とするが、宗教では、例え譲れなくても「ごめんなね今度譲るから今回は勘弁して」と心の中で云えばいいと聞いた事がある。どこまでも心の問題なのだ人間だもの

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