ホリショウのあれこれ文筆庫

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第345話 門前の小僧習わぬ経を読む

序文・犬も歩けば棒に当たる

                               堀口尚次

 

 「門前の小僧習わぬ経を読む」は『いろはかるた』であり、ことわざを使っているが、内容は江戸、京都・大阪など上方、尾張などで各々異なっている。この場合〈『も』のいろはかるた〉は、「門前の小僧習わぬ経を読む」が江戸で、「餅は餅屋」が上方、「桃栗三年柿八年」が尾張だという。

 因みに、「門前の小僧習わぬ経を読む」の意味は、〈寺の門前で遊んでいる小僧でも、いつも見聞きをしていれば、習わない経が読めるようになるように〉繰り返し見聞きできる環境におけば、自然とその知識がつくようになるものであるということ。

 「餅は餅屋」は、物ごとにはそれぞれの専門家があり素人の及ぶところではないといういこと。餅はそれぞれの家庭でつくことが多く、自家製のものと業者のものを比較しやすかったことが影響しているものと思われる。江戸後期には餅専門の業者が多くなり、街道筋で餅菓子を売る者のほか、暮れに何人か組になって各戸を訪れ、歌などを交えながら正月用の餅をつく光景も珍しくなかったといわれる。

 「桃栗三年柿八年」は、『桃や栗は植えてから3年たたないと実を結ばず、柿にいたっては8年もの歳月が必要になるのだ』ということを表しており、これが転じて『簡単には一人前になれず、ひとかどの人物になるには努力が必要だ』という意味合いで使われるようになった。『桃栗三年柿八年』が、このことわざの全文だと思っている人はたくさんいるのではないか。しかし、実は続きが存在する。語り継がれている代表的なもので、「桃栗三年柿八年 柚子の大馬鹿十八年」「桃栗三年柿八年 梨の馬鹿目が十八年」「桃栗三年柿八年 梅は酸い酸い十三年  梨はゆるゆる十五年 柚子の大馬鹿十八年 みかんのマヌケは二十年」これらを見ると、後に続く植物ほど果実の収穫に時間がかかるものとなっている。そして、なかなか実を付けないことに厳しい表現が用いられている。そのほかに、次のようなものもある。「桃栗三年柿八年 枇杷は早くて十三年」「桃栗三年柿八年 梅は酸いとて十三年 柚子は九年花盛り 枇杷は九年でなりかねる」これらには辛辣(しんらつ)な表現は見られない。植えてから収穫までの期間について、誰にでも分かりやすく伝えるために作られているようだ。