ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第1293話 坂崎直盛と千姫事件

序文・徳川家康の孫娘

                               堀口尚次

 

 坂崎直盛 / 宇喜多詮家(あきいえ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。宇喜多忠家の子。宇喜多直家の甥にあたる。宇喜多秀家に仕えた後に徳川家康に仕えた。関ヶ原の戦いの功により津和野城主となって坂崎と改姓。

 元和元年の大坂夏の陣による大坂城落城の際に、家康の孫娘で豊臣秀頼正室である千姫大坂城から救出した。その功により、1万石を加増されて4万石となったが、この後、千姫の扱いを巡って、直盛と幕府は対立することになり、最終的に千姫を奪おうとする事件を起こしている。これが千姫事件と呼ばれる。

この千姫事件については、様々な説がある。①「直盛が千姫を再嫁させること」を条件に直接家康の依頼を受けていたが、これを反故にされたとする説②家康は「千姫を助けた者に千姫を与える」と述べただけで直盛に依頼したわけではないという説③家康があくまでも「千姫を助けた者に褒美を与える」と述べたのを「千姫を助けた者に彼女を与える」と直盛が都合良く拡大解釈したとする説④また直盛が千姫を救出したかという点についても、様々な説がある。⑤実際に直盛が救出したわけではなく、千姫は豊臣方の武将である堀内氏久に護衛されて直盛の陣まで届けられた後、直盛が徳川秀忠の元へ送り届けた、とする説⑥この他、直盛が火傷を負いながら千姫を救出したにもかかわらず、その火傷を見た千姫に拒絶されたという説⑦が、このうち火傷に関しては俗説であるという意見もある。⑧また、事件の原因としてはこうした千姫の救出ではなく、寡婦となった千姫の身の振り方を家康より依頼された直盛が、公家との間を周旋し、縁組の段階まで話が進んでいたところに、突然姫路新田藩主の本多忠刻との縁組が決まったため、面目を潰されたという説もある。

いずれの理由にしても、直盛は大坂夏の陣の後、千姫を奪う計画を立てたとされるが、この計画は幕府に露見していた。幕府方は坂崎の屋敷を包囲して、直盛が切腹すれば家督相続を許すと持ちかけたが、主君を切腹させるわけにはいかないと家臣が拒否し討たれたという説、幕閣の甘言に乗った家臣が直盛が酔って寝ているところを斬首したという説、立花宗茂の計策により、柳生宗矩の諫言に感じ入って自害したという説がある。なお、柳生宗矩の諫言に感じ入ったという説に拠れば、柳生家の家紋の柳生笠〈二蓋笠〉は坂崎家の家紋を宗矩が譲り受けたとも伝わっている。