ホリショウのあれこれ文筆庫

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第384話 捕鯨という生業

序文・鯨との真剣勝負

 

                               堀口尚次

 

 NHKスペシャル「鯨()りの海」を観た。捕鯨を生業とする男たちに50日間に渡り取材したドキュメンタリー番組だった。

 3年前から、再開されている日本の商業捕鯨。古来から続く捕鯨。ある人は『残酷』だといい、ある人は『文化』だという。価値観が多様化する現代。なぜ鯨を獲り続けるのか。

 ベテランの砲手は言う。「自分らは『パンコロ』って言うんですけど、(もり)一本だけで、一発で仕留める。やっぱり、それだけ苦しむじゃないですか。早く楽にさせてやったほうが、苦しまないですよね。ただ(まと)を撃つだけじゃないんですね。生き物を相手にしてるんだから、真剣に向かっていくということです。命をいただくわけですから」

 鯨獲りたちには脈々と受け継いできたある掟がある。少しでも親子鯨と疑えば、撃たない。前出(ぜんしゅつ)の砲手は言う。「子どもが大きくなっていって、またわれわれにかえってくるわけですから。まだ母乳を飲んでるんだったら、えさの取り方とか知らないでしょうからね。親をとっても、子どもが死んでしまう。ただ無駄に殺すわけじゃないし、食べもしないのに殺さない。そういうことはしないですね」

 前出の砲手には背中を追い続けてきた男がいた。南氷洋での商業捕鯨時代に砲手を務めていた砲手戦艦大和の元砲術長に学び、生涯で8052頭の鯨を仕留めた。「最も大切」だと伝えられたこと。それが、鯨を苦しませないために一撃で仕留める「パンコロ」だった。『お前ら、当てることができたら、その先を行かないとだめだ。鯨に2発も3発も当てるんじゃなくて、1発で当てて息の根を止めろ』っていうことなんです。同じ“命”対“命”なんですよ。だけど、この命を頂かなきゃいけないんです。頂いて、自分らが生きていく。敬意とかそんな感じですかね」

 捕鯨を生業とする者の、生き様みたいなものを感じた。「残酷」とか「文化」とかの前に、『自分たちの生業は、同じ“命”対“命”の真剣勝負の戦いなんだ』という気迫みないなものが伝わってきた。投稿済の「命をいただくということ」で紹介した畜産家とも繋がる、「命をいただくこと」に人間が関与していることへの自覚。そして生き物への『本物の敬意』がそこにはあった。