序文・商人の原点かもしれない
堀口尚次
仙台四郎は、江戸時代末期〈幕末〉から明治時代にかけて、現在の宮城県仙台市に実在した人物で、「人神」としても祀られている。旧字体を用いて「仙臺四郎」とも書く。
本名は通説では芳賀四郎であるが、親族によれば「芳賀豊孝」。
知的障害があり会話能力は低かったが、明治期に「四郎自身が選んで訪れる店は繁盛する」との迷信が南東北のマスメディアを巻き込んで流布し、売上増を企図する店舗等が四郎の気を引こうと厚遇した。
没後の大正期に入ると、仙台市内のある写真館が「四郎の写真を飾れば商売繁盛のご利益がある」と謳って写真販売を始めた。商売繁盛のご利益は、存命中においては四郎の意志に依拠したが、写真による偶像化以降、〈死没した〉四郎の意志とは無関係になり、グッズを購買すればご利益が得られると転換された。大正9年からの戦後恐慌以降、繰り返し発生する不景気において四郎のブームが度々発生し、商業神の稲荷神やえびす、あるいは、土着の松川だるまを凌駕して仙台で信仰され、さらには全国的に知られる福の神として定着した。
現状では民間信仰において神として崇められる一方、神であるか不明なキャラクター化も進んでおり、四郎が神と人との間で揺れ動く人神となっている。神としてのグッズ展開がある一方で、仙台市都心部の密教系仏教寺院ではキリスト教におけるサンタクロース姿にさせて飾ったり、仙台初売りや一般企業の広告ではキャラクターとして使用されたり、四郎の風貌やエピソードを設定として用いて、芝居の興行をする俳優、コントをするお笑い芸人、芸能活動をするローカルタレントが現れたりもしている。
四郎の知的障害には生まれつきという説と、7歳の時花火見物中に誤って広瀬川に転落して溺れて意識不明となったことが元で知的障害となったという説がある。言葉についても「バヤン」〈「ばあや」の意〉などとしか話せなかった説と、普通に会話も出来たとする説とがある。
仙台四郎は民間信仰であるため本来寺社とは関係ないが、仙台四郎を合わせて祀る寺社がある。