ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1212話 ラジオ塔

序文・プロパガンダ

                               堀口尚次

 

 ラジオ塔とは、放送事業者ラジオの普及を目的に、公衆にラジオ放送を聞かせるため、公園などの公共空間に設置した、ラジオ受信機を内部に収めたである。素材は、木造、石造または鉄筋コンクリート造で、高さは約3メートルから5メートル、幅・奥行きは1.5メートル程度のサイズで建造された。ラジオ受信機本体を塔内の空洞に収納する型や、側面にスピーカー、外側にスイッチを配置している組み込み型があった。この型では、「放送が十分間流れたあと、自動的に電源が切れる仕掛けになっていた」。

 ラジオ塔は財団法人日本放送協会NHK〉大阪中央放送局が昭和5年6月15日、大阪市天王寺公園旧音楽堂跡に初めて設置された建造物で、正式名称は「公衆用聴取施設」である。大阪中央放送局はこれ以前から、ラジオの加入者数の増加と解約者数の抑制を目的に、数々の施策を積極的に実施していた。加入者への戸別訪問によるアンケートの他、受信機器の普及・維持のための講習会や無料相談所を開設した。さらにプロモーション映画の製作と上映や、電車の車内広告・新聞などを利用して番組の告知なども行った。そうした多くのプロモーション活動の中で最も効果的であるとされたのが、都市部の公園での拡声器の臨時設置によるラジオ放送であった。

 日本政府・軍は外地住民に対して放送によってプロパガンダをおこなうため、各地にラジオ塔を建設した。昭和9年8月、台湾放送協会により台北新公園広場に台湾初のラジオ塔が建設された。昭和14年には、満州に20基のラジオ塔が設置された。さらに南方だけで合計600基以上ものラジオ塔を設置する計画が立てられた。インドネシア・ジャワ島では人口1万人に1基を想定し、昭和19年2月時点で1500基ものラジオ塔を建設したとされる。またセレベス島・ボルネオ島の海軍担当地域では130基以上を建設した。一方フィリピンでは、コレヒドール島を拠点に日本軍に抵抗を続けるアメリカ・フィリピン軍が、短波ラジオで対日・対比放送を行っていたため、日本軍の命令で住民所有の受信機から短波帯の切断を実施。代わって市場などにラジオ塔を設置した。

 各家庭にラジオ受信機が普及したことで、次第に利用されなくなり、放置されたり、撤去されたりする例が相次いだが、現存しているものについては文化財として保全・活用する事例が出てきている。