序文・いずれにしても国事殉難犠牲者、すなわち英霊にはかわりない。
堀口尚次
数年前に実家の父親が、「全國護國神社巡拝」と云う本を自費出版した。私は護国神社と云うものを理解しておらず、靖国神社との違いも分らなかった。
護国神社とは、国家のために殉難した人の霊(英霊)を祀るための神社。1939年に招魂社から改称。招魂社の名称は、「招魂」が臨時・一時的な祭祀を指し、「社」が恒久施設を指すため、名称に矛盾があるとして護国神社に改称された。「護国」の名称は、徴兵令詔書の一節「國家保護ノ基ヲ立ント欲ス」、『軍人勅諭』の一節「國家の保護に尽さば」など、祭神の勲功を称えるに最も相応しく、既に護国の英霊等の用語が用いられて親しみも深い、との理由で採用された。戦前は内務省によって管轄されていたが、戦後は独立の宗教法人となる。指定護国神社は東京都と神奈川県を除く道府県に建立され、その道府県出身ないし縁故の戦死者、自衛官・警察官・消防士等の公務殉職者を主祭神とする。
祭神は靖国神社の祭神と一部重なるものの、靖国神社から分祀された霊ではなく、独自で招魂し祭祀を執り行っている。そのため、公式には護国神社は「靖国神社とは本社分社の関係にはない」とされている。しかし、共に英霊を祀る靖国神社と護国神社とは深い関わりがあり、各種の交流もある。
靖国神社とは、戊辰戦争・明治維新期の戦没者を慰霊、顕彰する動きが活発になると、そのための施設である招魂社創立の動きが各地で起きた。それらを背景に明治天皇の勅命によって明治2年に建てられた招魂社に起源を発し、国家ために殉難した人の霊(英霊)246万6千余柱を祀る。全国にある護国神社と深い関わりがある。
祭神は、軍人・軍属・準軍属が基本で、いわゆる官軍しか祀られていない。最終的に亡くなった時に賊軍であると祀られない。だから、西郷隆盛を始め不平士族の乱や西南戦争で、政府と戦ったものは祀られていない。戦後に殉職した自衛官、海上保安官、政府職員等に関しても祀られていない。
幕末の志士である吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、大村益次郎らは維新殉難者として合祀されている。これは戊辰戦争における新政府軍側の戦没者を契機として創祀された事情から戊辰以降の戦没者を対象とする合祀基準を、さかのぼらせたためである。それに対して、戊辰戦争での旧幕府軍の兵士や、奥羽越列藩同盟の兵士、新選組や彰義隊などの旧幕臣の戦死者は祀られていない。ただし、禁門の変で長州藩勢との戦いで戦死した会津藩兵らは、朝廷(天皇)を守護したとして祀られている。
このように護国神社と靖国神社の関係は深いが、祀られている人が違うのだ。