ホリショウのあれこれ文筆庫

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第413話 融通念仏宗の開祖・良忍上人

序文・声明念仏

                               堀口尚次

 

 良忍上人は、平安時代後期の天台宗の僧で、融通(ゆうずう)念仏宗の開祖。聖応(しょうおう)大師。

尾張国知多郡〈愛知県東海市〉の領主の秦道武(はたみちたけ)の子として富田荘〈富木島町〉に生まれる。良仁とも書き、房号(ぼうごう)〈別名〉は光静房または光乗房。

 比叡山東塔常行三昧堂の堂僧となり、雑役をつとめながら、良賀に師事、不断念仏を修める。また禅仁・観勢から円頓戒脈を相承して円頓戒の復興に力を尽くした。22歳から23歳のころ京都大原に隠棲して念仏三昧の一方で、来迎院・浄蓮華院を創建し〈寂光院良忍による創建説がある〉、また分裂していた天台声明(しょうみょう)の統一をはかり、大原声明を完成させた。

 永久5年阿弥陀仏の示現(じげん)〈神仏のお告げ〉を受け、「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合しあうという立場から融通念仏を創始し、称名念仏で浄土に生まれると説き、結縁した人々の名を記入する名帳を携えて各地で勧進を行った四天王寺に参籠した時に見た霊夢により、摂津国住吉郡平野庄の領主の坂上広野(さかのうえのひろの)の邸宅地に開いた修楽寺が、その後の融通念仏の総本山の大念仏寺の前身である。安永2年聖応大師諡号(しごう)を賜った。

 融通念仏宗は、浄土教の宗派の。十三宗の一つ。総本山は大念仏寺。平安時代末期の永久5年に天台宗の僧侶である聖応大師良忍が大原来迎院にて修行中、阿弥陀如来から速疾(そくしつ)往生〈阿弥陀如来から誰もが速やかに仏の道に至る方法〉の偈文(げもん)「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 十界一念 融通念仏 億百万編 功徳円満」を授かり開宗した。当初は念仏宗と言った。

 総本山である大念仏寺は、大治2年に鳥羽上皇の勅願により、宗祖良忍が開創した。坂上田村麻呂の次男で、平安時代にこの地域を開発したといわれる「平野殿」こと坂上広野の私邸内に建てられた修楽寺が前身と伝わる。日本最初の念仏道場である

 筆者の地元でもある、良忍上人生誕の地は、愛知県東海市富木島町にあり、現在は曹洞宗の宝珠寺に、「良忍上人御生誕地」の石碑がある。近くには「正法塚〈良忍上人御廟〉」があり「藤原奏氏祖先御栄域」という石碑もあり、一帯は、融通念仏宗・総本山・大念仏寺の管理敷地となっている。