ホリショウのあれこれ文筆庫

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第329話 仁義を切る

序文・「御控えなすって」

                               堀口尚次

 

 「仁義を切るとは、任侠、テキヤ香具師(やし)、博徒渡世人(とせいにん)などが初対面の際に交わす挨拶の形式を表現する言葉。「仁義」の元の意義としては、人間の行動規範の根本として孔子の説く博愛を意味する「仁」に正義を意味する「義」を合わせて最高の徳として孟子の説いたものである。ただし、江戸時代であっても博徒は必ず仁義を切るものでもなく、鉱山等において過酷な重労働に従事する労働者の人足部屋〈飯場(はんば)、寄宿舎(きしゅくしゃ)〉では仁義を切って銭をもらったという話もある。

 転じて、事をなすにあたって、先任者・関係先などに挨拶することや事情を説明しておくこと、事前に連絡を入れておくことも指す。政治の世界においては、あいさつや説明責任の意味あいとなることもある。

 上述のように任侠、テキヤ香具師博徒渡世人などが初対面の際に自己紹介の手段として用いられる。口上が淀みなく歯切れの良い口調であるか、気の利いた台詞や言い回しであるかで、当人の力量が判断される儀式ともなっている。形にはまった形式も多く、形式から大きく逸脱することは許されておらず、管理社会から縁遠いと言われる渡世人の世界の方がしきたりや束縛が強いという矛盾を孕(はら)んでいる。ヤクザ社会においても同様で、厳しい束縛やしきたりが多い。ただし、現在では名刺などで自己紹介を行うことも多く、軒先で仁義を切って自己紹介を行うようなことは廃れている。

 一身上の都合で旅人(たびにん)〈旅から旅に渡り歩く者〉となった者も、手拭1本あればその土地土地の親分を訪ね、一宿一飯の恩を蒙り、草鞋銭(わらじせん)を得て旅行することができたという。ただし、一言でも言い間違えたり、所作に間違いがあった場合は「騙り」とみなされ、袋叩きになって追い出され、殺されても不思議ではなかった。

 識字率が低かった時代の身分証明の手段でもあり、前近代では幅広い層で行われた習慣の一つであり、厳格な所作は同業の者であると確認するための目安であった。現在では任侠・テキヤも名刺を用いるようになったため、挨拶法としては行われていない。

 映画「男はつらいよ」の寅さんも、よく仁義を切ってましたね。