ホリショウのあれこれ文筆庫

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第451話 橘丸事件

序文・国際法違反はお互い様

                               堀口尚次

 

 橘丸(たちばなまる)事件は、昭和20年に日本陸軍国際法に違反して病院船「橘丸」で部隊・武器を輸送した事件である。日本陸軍創設史上最も多い約1,500名の捕虜を出すこととなった。

 昭和18年12月当時、日本軍が運用し連合国側に病院船として通告済みの船舶は、日本陸軍が「橘丸」を含めて17隻、日本海軍が4隻であった。なお、日本陸軍ではこの17隻の通告済み病院船の他に、未通告のまま病院船と称する船舶を何隻か運航させていた。そのうちの1隻、「はるぴん丸」は昭和17年1月10日にアメリカ潜水艦「スティングレイ」に撃沈される。この事は1942年1月14日の大本営発表で公表され、当時の新聞は「国際條約を蹂躙」「天人倶に許すべからざる非人道的行為」と書いて、いわゆる「アメリカ軍の非人道性」を大いに批判した。しかし、「はるぴん丸」撃沈の実態は『「ハルピン」丸ハ船体黒塗ノママ赤十字標識ヲ附シアリ 敵国ニ対シ病院船トシテ通告モナシアラザリシモノニシテ国際法上ノ病院船トシテノ資格ナカリシモノナリ』と、日本海軍が記すように、登録はおろか”目立つ赤十字のマークがあったとしても病院船としての正規な塗装”を行っていなかった

 「橘丸」による兵力後退輸送任務は「光輸送乙号作戦」と命名され、命を受けた「橘丸」は海上トラック「広瀬丸」という偽名をもらい、7月27日に昭南を出港して7月31日にトアールに入港する。1,562名の将兵たちは白衣を着て患者を装い、軍服や各種武器等は赤十字社の標章を付して梱包していた。通常、荷が軽いときは砂を入れる三層構造の最下層に入れられたという。臨検された場合に備えたのか、各人の偽名と適当な内容のカルテまで準備され、そこにある名前・所属等の情報を覚えるよう指示されたという。また、連合軍に発覚、拿捕される事態になった場合には、積み込んだ火薬類で自爆することが訓示されていたという。翌8月2日、「橘丸」はトアールを出港するが、この時すでにアメリカ軍の飛行艇が上空で張り付いていた。アメリカ軍は通信傍受により、「橘丸」が兵士を輸送していることを把握していたのである。乗り込んだ兵士らの中には、大砲を含む武器や弾薬をあまりに積み込んだために、船の喫水線(きっすいせん)が下がり、それで怪しまれたと考える者もいる。結果「橘丸」は国際法違反により拿捕(だほ)された。自爆は実行されなかった。