ホリショウのあれこれ文筆庫

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第530話 内密出産「あかちゃんポスト」

序文・親と子の絆

                               堀口尚次

 

 テレビのドキュメンタリー番組で「大きくなった赤ちゃん~ゆりかご15年~」を観た。深刻な社会問題だ。以下に「内密出産」に関して記します。

 内密出産は、母親が自身の身元を当局に開示されることなく行う出産のことである。以前は頻繁に〈特に非摘出(ちゃくしゅつ)子に対し〉行われていた嬰児(えいじ)殺しを防止するために、内密出産は多くの国で何世紀にもわたって法制化されてきた。内密出産においては母親の情報自己決定権が、子供の権利条約にも規定されている子供の「出自(しゅつじ)を知る権利」を保留させることになり、母親が意思を変えるか、成長のある段階になって子供が開示を要求する時点まで継続する。内密出産を超える考え方としては匿名出産があり、この場合母親は当局に全く身元情報を開示しないか、あるいは身元情報を当局が把握しても絶対に開示しないこととなる。

 内密出産を定める法律の先駆けはスウェーデンに見られ、1778年に定められた嬰児殺防止法が匿名で出産できる権利と手段を認めていた。ただし1856年の法改正で匿名出産には制限が設けられ、助産師が母親の氏名を封印された封筒に保管するよう定められた。フランスにおいては内密出産は1793年に法制化された。この際、フランス民法典326条に内密出産とともに匿名出産が定められた。ドイツでは2014年に法制化された。カウンセリングを受けた後も匿名を希望する場合は、内密出産を選択できる。韓国では制度化に向けて、議論が進んている。

 「赤ちゃんポスト」について、慈恵病院 「こうのとりのゆりかご」を運営。2019年12月に日本初の内密出産受け入れを表明〈2020年8月24日時点で、病院側は「実施したケースはない」としていたが、2022年1月4日に国内初となる内密出産に該当する10代女性が出産後に退院したことを発表した〉。2022年2月10日、熊本市長大西一史は、内密出産を控える方針を転換し、慈恵病院で内密出産した女性について、母子の支援に対する協議を始めると発表した。大西市長は、病院が「母の名前を書かずに」出生届を提出した場合、熊本地方法務局の見解を受理を判断し、現行法で解決できない問題は国に協力を求める方針を示した。その後、熊本地方法務局からの回答を受け、熊本市は無戸籍者になる不利益を解消する人道的観点から両親が不明の棄児(きじ)に準じる形で市長による職権で戸籍が作成できるよう、出生日や出生地を同市に提供するように慈恵病院に求めていくことを2022年2月14日に発表した。2022年2月25日、蓮田健院長が参院予算委員会参考人として出席。2022年5月2例目、同年6月3例目、同年7月4例目を発表。2022年9月30日、厚生労働省法務省は、「内密出産」のガイドラインを初めてまとめた。

 親と子は血が繋がっていることが前提となるのは、自明の理である。しかしながら、世の中には理屈ではかたずけられない問題もある。

 「親子の絆」は、血が繋がっていなくても成り立っているケースは存在する。例えば、なんらかの理由で出産はしたが養育が出来ないため、生後すぐに他人に育てられた場合など、いわゆる「生みの親」ならぬ「育ての親」が存在するわけだが、この場合の「親子の絆」は当然ながら「養父もしくは養母」と深い繋がりとなるだろう。

 また、戦争により引き離された中国残留孤児などの場合も、「生みの親=開拓移民として満州に渡った日本人」より、生後間もなくもしくは幼児期に、中国大陸に置き去りにされた日本人の赤ちゃんもしくは幼児を我が子として養育した中国人との「親子の絆」は大きい。

 しかしながら、「養育された恩」と「自分の出自」とは別次元の話しだ。人間として生まれたことへの尊厳にかかわるのだ。

 「戸籍」という法治国家で生きるために必要な制度上の問題と、「出自」という人間の尊厳に関わる深い問題。

  人間は、血が繋がっていなくても深い関係になれる生き物である。夫婦もそうであるし、師弟関係もそうである。

 「生んでもらったこと」への感謝と、「育ててもらったことへの感謝」がある。願わくば「内密出産」で誕生した赤ちゃんが、将来大人になって「自分の出自」について知った時に、人間としての尊厳を奪われない形で、説明ができるような法整備が早急に必要だと感じた。

 私は、このテレビドキュメンタリー番組を観て、慈恵病院が提起した問題点に深く考えさせられた。