ホリショウのあれこれ文筆庫

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第956話 トクホンチールは「永田徳本」から

序文・将軍も治療した

                               堀口尚次

 

 今でこそ「バンテリン」「サロンパス」が有名だが、昔は「アンメルツ」が主流だった。そして忘れてならないのが「トクホンチール」だ。何をかくそう、肩こり・筋肉痛に、容器の先端部分を直接身体に塗り付けるローションタイプの湿布薬の話しだ。今回はこの「トクホン」の由来を紐解く。

 永田徳本〈永正10年 -寛永7年〉は、戦国時代後期から江戸時代初期にかけての医師。「甲斐の徳本」などとも呼ばれ、また「十六文先生」や「医聖」とも称された。号は知足斎、乾室など。諸国を巡り、安価で医療活動を行ったといわれる放浪の医者である。

 戦国時代中期、三河大浜〈現愛知県碧南市〉で生まれたという。その後、陸奥国で仏門に入り、出羽で修験道を学び、また李朱医学〈当時の明からもたらされた漢方医学、当流医学とも〉を修め、信濃・甲斐に移り住み、国主であった戦国大名武田信虎・信玄父子二代の侍医となったと言われる。武田信虎の領国追放後は信濃国諏訪に住み、武田家滅亡後は東海・関東諸国を巡り、貧しい人々に無料で薬を与えたり、安価で診療を行ったとされる。伝承に拠れば彼は首から薬袋を提げ、牛の背に横になって諸国を巡り、どんな治療を行っても報酬として16文以上の金額を受け取らなかったと伝わり、「十六文先生」とも称されたらしい。

 本草学にも通じ、103歳の頃に甲斐における葡萄栽培法の改良も行ったとする伝説もある。江戸時代に入ったのち、将軍・徳川秀忠の病を治癒し、その際も報酬を受けずに立ち去ったと言われるなど、その人生は謎と伝説に包まれている。享年118で死亡、記録が正確ならば、驚異的な長寿である。晩年は現在の長野県岡谷市に居住したと伝えられ、同地に墓碑が存在する。

 現代の日本の製薬会社「トクホン」の社名〈当初の社名は「鈴木日本堂」であり、トクホンはその消炎鎮痛剤や湿布薬のブランドネームであった〉は、永田徳本にちなんで命名されたものである〈直接の所縁はない〉。

私見】筆者が子供の頃は「アンメルツヨコヨコ」の方が印象深いが、大人が使う医薬品であったためなのか、さほどお世話になっていないが、中学生になり運動部の部活で筋肉痛を鎮めるため?に使用した思い出がある。