ホリショウのあれこれ文筆庫

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第786話 中国 台湾 金門県

序文・中国と台湾の狭間で

                               堀口尚次

 

 金門県(きんもんけん)は、中華民国〈台湾〉。中国大陸に近接する大金門島などを領域とする。台湾海峡対岸の台湾に依拠する中華民国の「福建省政府」が置かれているが、1996年から省としての機能を「凍結」している。一方、中華人民共和国の行政区分上は、福建省泉州管轄とされているが、実効支配できていない国共内戦で中国大陸から撤退した蒋介石率いる中華民国軍が、1949年の古寧頭(こねいとう)戦役や1959年の金門砲戦を経て防衛に成功。それ以来一貫して中華民国の統治下にある。

 かつては泉州府同安県の管轄であった。明末清(みんしん)初には鄭成功(ていせいこう)による反清復明の抵抗の拠点にもなった。1914年に思明県の所属とされ、翌1915年に金門県が新設された。1937年には日本軍により占領された〈日中戦争〉。1945年の日本の降伏により再発した国共内戦の末期、1949年の古寧頭戦役で中華民国が防衛に成功した。中国国民党が台湾へ移って以降は馬祖島連江県〉とともに中華民国軍の軍事的拠点となり、1956年より軍政が敷かれ、一般観光客の出入りは厳しく制限されていた。

 1958年には、極東を歴訪する米国のダレス国務長官の台湾訪問を前に、対岸の中国人民解放軍中国共産党〉との間で激しい砲撃戦による金門砲戦が発生した。中華民国陸軍は中華人民解放軍から金門島を防衛することに成功したものの、多数の死傷者を出した。 砲撃は1979年まで繰り返された。末期には奇数日に限りプロパガンダ用のパンフレットを詰め込んだ砲弾が飛んでくるといった状況ではあったが、それでも死傷者は発生し続けた。

 1992年の戒厳令解除後、特に三通政策の実施後は、中国大陸から多くの観光客が訪れる島となっている。中華民国でありながら人民元が流通し、中華民国国旗とともに中華人民共和国の国旗も掲げる商店街も存在する。1995年には台湾6番目の国立公園・金門国家公園に指定された。

 中華人民共和国人民解放軍中華民国への軍事侵攻が懸念される昨今、テレビ番組で中華民国の議員が「金門島の立場は、ウクライナクリミア半島と似ている。」と言っていた。「台湾有事」は間違いなく日本にも影響を与え兼ねない。かつて台湾を占領統治した日本として、何が出来るのだろう。