ホリショウのあれこれ文筆庫

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第401話 米先住民寄宿学校

序文・アメリカ先住民が辿った道

                               堀口尚次

 

 7月20日中日新聞で「奪われた未来・米先住民寄宿学校」の連載が始まった。第一回目は、「白人同化を強要・私たちはもの扱いだった」であった。

 記事によると、『1819年の「インディアン文明化基金法」などに基づき、先住民の子ども数十万人を強制的に集め、英語やキリスト教のほか、出身部族の伝統とは異なる産業教育を施した。文化継承を絶って白人社会に同化させることにより、先住民の土地を奪う目的もあったとされる。政府やキリスト教会が関与した寄宿学校は400以上。身体的、精神的虐待が横行したほか、劣悪な環境による病気も流行した。2020年の国勢調査では、先住民の血を引く人口は約970万人で全体の約3%。』とある。

 1879年、インディアン戦争に従事した将校、リチャード中尉がペンシルバニア州アメリカで最初の同化施設としての先住民寄宿舎学校を設立した。1892年、彼はデンバーでの演説で寄宿舎学校制度を「うちなるインディアンを殺し、その人間を救う」という言葉でもって説明した。また、1885年、インディアン事務局の監督官を務めたハイラムは「彼らと戦うより、彼らに教育を与えたほうがより安価ですむ」と、新たなインディアン政策としての同化政策と寄宿舎学校制度の効率性を主張した。インディアン討伐戦争と寄宿舎学校制度が、先住民を根絶することを目指す点において同根にあったことを示すものである。

 その後、多くアメリカ中で設立された寄宿舎学校はカーライルと同様に「工業学校」と名付けられたものが多く、保留地に暮らす先住民の子どもたちを、親と先住民共同体から強制的に引き離し、彼らの宗教や習慣、言語を禁止して、「内なるインディアンを殺し、人間を救う」を合言葉に、キリスト教や英語教育、職業教育などを行った。証言によると、「工業学校」という名の通り、数学の基礎や品詞など英語文法の基本よりも、大工や家政などに多く比重をおいた職業訓練であったという。こうした方針はインディアン民族のアイデンティティに深刻な影響を与えるもので、2000年にBIA局長ケビンはBIAの公式な文書でこれを「アメリカ合衆国によるインディアン部族に対する民族浄化である」と記載し「私達は二度と貴方がたの宗教、言語、儀式、また部族のやり方を攻撃することはありません。私達は二度と、貴方がたの子供を里子に出させ、自分たちを恥ずべきものと教えるつもりはありません。」と演説した。