ホリショウのあれこれ文筆庫

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第490話 斬首された前原一誠

序文・武士の信念を生きた

                               堀口尚次

 

 前原一誠(いっせい)は、日本の武士〈長州藩士〉。諱(いみな)は一誠。通称は八十郎(やそろう)、彦太郎。倒幕運動の志士として活躍したが、明治維新後、萩の乱の首謀者として処刑された。位階は贈従四位維新の十傑の一人。参議、兵部大輔〈現在の国防次官〉を務めた。

 前原の辞世の詩として伝えられるのは、「吾今国の為に死す、死すとも君恩(くんおん)に背(そむ)かず。人事通塞(つうそく)あり、乾坤(けんこん)我が魂を弔さん」〈※現代語訳:私は今、国のために死ぬのだ。死んだとしても、君主さまの恩に背くことはない。人の想いは通じることも通じないこともあるものなのだ。天や地は私の魂を弔ってくれるだろうよ〉

 江戸時代後期に開国し、王政復古により成立した明治政府は四民平等政策のもと、大名、武士階級を廃止して華族、士族を創設する。秩禄処分により俸禄〈家禄〉制度は撤廃され、廃刀令の施行など身分的特権も廃された。また、明治政府が行う文明開化、殖産興業政策による西洋技術・文化の輸入、朝鮮出兵を巡る征韓論で政府が紛糾し、明治六年政変で西郷隆盛、江藤俊平、板垣退助らが下野すると士族層に影響を与え、明治政府に反対する士族は「不平士族」と呼ばれた。

 明治7年に江藤が故郷の佐賀県で擁立されて反乱〈佐賀の乱〉し、明治9年には熊本県神風連の乱、呼応して福岡県で秋月藩士宮崎車之介を中心とする秋月の乱、10月には山口県前原一誠らによる萩の乱など反乱が続き、それぞれ鎮圧された。

 萩の乱は、明治9年山口県の萩で起こった明治政府に対する士族反乱の一つ。山口県士族の前原一誠〈元参議〉、奥平謙輔ら約200名〈吉田樟堂文庫「丙子萩事変裁判調書」では506名、岩村通俊遺稿では2千余名と諸説あり〉によって起こされた反乱である。後の内閣総理大臣〈第26代〉田中義一も当時13歳で反乱に参加している。

 山口裁判所・萩臨時裁判所〈裁判所長・岩村通俊〉にて弁明の機会を与えられぬまま関係者の判決が言い渡され、首謀者とされた前原らは斬首された