序文・平将門の盟友?
堀口尚次
藤原純友(すみとも)は、平安時代中期の貴族・海賊。藤原北家、右大弁・藤原遠経(とおつね)の孫。大宰少弐(だざいのしょうに)・藤原良範の三男。弟に藤原純乗(すみのり)がいる。官位は従五位下・伊予掾(いよのじょう)。
瀬戸内で朝廷に対し反乱を起こしたことで知られる。純友の乱は関東で平将門が起こした乱と併せて承平天慶の乱と呼ばれる。
関東で平将門が乱を起こした頃とほぼ時を同じくして瀬戸内の海賊を率いて乱を起こし、藤原純友の勢力は機内に進出、天慶2年には純友は部下・藤原文元に摂津国須岐駅において備前国・播磨国の介〈備前介・藤原子高、播磨介・島田惟幹〉を襲撃させ、これを捕らえた。翌天慶3年には、2月に淡路国・8月には伊予国と讃岐国の国府を襲撃し、略奪を行った。瀬戸内海を転戦し、天慶4年5月上旬には大宰府を陥落させた。
将門の乱がわずか2か月で平定されたのに対し、純友の乱は2年に及んだ。また、純友の合戦の様子は『純友追討記』として、追補使により政府への報告がなされたとされ、一部が『扶桑略記』に引用されている。
純友が関白、平将門が天皇になり天下の政治を行うと約束して東国と西国で反乱を起こしたという記事があり、比叡山で誓いを交わしたとされる〈『大鏡』〉。この両名共謀の疑惑は事件発生の当初から貴族の間にあったが、実際は将門は純友を知らず、純友は将門の反乱を見てから行動したのが実情ではないかと指摘されている。
しかし、1976年の「大河ドラマ・風と雲と虹と」では 加藤剛演じる平将門と緒形拳演じる藤原純友が京都で酒を飲みながら話をして今後を語り合うシーンがあり話題となった。
純友が藤原の血統であることには異説がある。それによると純友は伊予の豪族越智氏の一族で、今治の高橋郷の高橋友久の子であったが、良範が伊予の国司として赴任したおりに養子になり、藤原姓を名乗ったというものである。しかしこれは歴史的にはあり得ないとして否定されている。
【私見】今回の文章に出てくる「介」や「掾」は官職の位を指す。上から「守(かみ)→介→掾」のように。国の長官が「守」なので、例として三河国の長官は「三河守」となり、上野国の次官は「上野介」となる。
