ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1161話 新皇・平将門

序文・怨霊になった新しい天皇

                               堀口尚次

 

 平将門〈延喜3年 - 天慶3年〉は、平安時代の関東の豪族。日本の第50代桓武天皇四代の皇胤(こういん)であり、平氏の姓を授けられた高望王の三男の鎮守府将軍平良将の子下総国常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国府を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷・朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称して東国の独立を標榜朱雀天皇の朝敵となった。しかし即位後わずか2カ月たらずで藤原秀郷平貞盛らにより討伐された〈承平天慶の乱〉。死後は怨霊になり、日本三大怨霊の一人として知られる。 後に御首神社・築土神社神田明神・国王神社などに祀られる。新皇は、天慶2年12月に平将門が「新しい天皇」の意で自称〈僭称(せんしょう)〉した称号。以後、将門平氏出身であることから「平新皇」と呼ばれたとされる。

 平将門は、源護(みなもとのまもる)や伯父の平国香平良兼ら一族との私闘を繰り返し、その延長とも言える合戦で常陸国府を蹂躙(じゅうりん)して公権を犯したため、図らずも朝廷に対する叛乱者となってしまう。将門は、側近の興世王の進言等もあって東国制覇に動き出し、下野国府や上野国府を占領し、上野国府にて四方の門の警備を固めて諸国の除目を発令した。その時、「八幡大菩薩の使い」を名乗る一人の巫女が現れ、「朕の位を蔭子平将門にお授けいたす。その位記(いき)は、左大臣正二位・菅原道真の霊魂が捧げるところである。右の八幡大菩薩は、八万の軍を催して朕の位をお授けするであろう。今ただちに、三十二相楽を奏でて、早くこれをお迎え申し上げよ」と告げる。将門は位記を頭上にうやうやしく捧持って拝礼し、ここにおいて興世王と藤原玄らは贈り名を奏上、将門を名付けて「新皇」と称した。この将門新皇僭称に際して、舎弟の平将平や小姓の伊和員経らは諫言するも聞き入れられなかった。

 新皇を称した将門は、朱雀天皇を「本皇・本天皇」と呼んでおり、藤原忠平宛ての書状でも「伏して家系を思いめぐらせてみまするに、この将門はまぎれもなく桓武天皇の五代の孫に当たり、この為たとえ永久に日本の半分を領有したとしても、あながちその天運が自分に無いとは言えますまい」とあり、また除目も坂東諸国の国司の任命に止まっている事からも、その叛乱を合理化し東国支配の権威付けを意図としたもので、朝廷を討って全国支配を考えたものではなく「分国の王」程度のつもりであったと思われる。