序文・陸軍対海軍の構図が浮き彫り
堀口尚次
新名丈夫(しんみょうたけお)〈明治39年 - 昭和56年〉は、日本の評論家、元毎日新聞記者。
太平洋戦争中、黒潮会〈海軍省記者クラブ〉の主任記者であった新名は、昭和19年2月23日付東京日日新聞〈現・毎日新聞〉一面に、「勝利か滅亡か、戦局は茲(ここ)まできた」、「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋飛行機だ」という記事を執筆、これに東条英機首相が反発し二等兵として陸軍に懲罰召集を受けることになった。
新名は大正年間に徴兵検査をうけたが弱視のため、兵役免除で、まだ当時は大正時代に徴兵検査を受けた世代は1人も召集されてはいなかった。新名が黒潮会の主任記者であった経過から、海軍が「大正の老兵をたった1人取るのはどういうわけか」と陸軍に抗議し、陸軍は大正時代に徴兵検査を受けた者から250人を丸亀連隊〈第11師団歩兵第12連隊〉に召集して辻褄を合わせた。
新名自身は日中戦争時は陸軍の従軍記者であった経歴と海軍の庇護により連隊内で特別待遇を受け、3ヶ月で召集解除になった。しかし、上述の丸亀連隊の250人は送られた硫黄島で全員が玉砕・戦死することになった。陸軍は新名を再召集しようとしたが海軍が先に国民徴用令により保護下に置いた。
竹槍事件とは、第二次世界大戦中の昭和19年2月23日付け『毎日新聞』第一面に掲載された戦局解説記事が原因でおきた言論弾圧事件。
問題となった戦局解説記事は、毎日新聞社政経部および黒潮会〈海軍省記者クラブ〉主任記者である新名丈夫が執筆した記事〈見出し作成は山本光春〉で、「勝利か滅亡か 戦局は茲まで来た」という大見出しの下でまず「眦決して見よ 敵の鋏状侵寇」として南方における防衛線の窮状を解説し、続いて「竹槍では間に合はぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」として海軍航空力を増強すべきだと説いている。
この記事は海軍航空力増強を渇望する海軍当局からは大いに歓迎されたが、時の東条英機陸相兼首相は怒り、毎日新聞は村松秀逸・大本営報道部長から掲載紙の発禁および編集責任者と筆者の処分を命じられた。毎日新聞社は編集責任者は処分したものの、筆者である新名の処分は行わなかったところ、その後ほどなく新名記者が37歳にして召集された。