序文・神憑りから始まった
堀口尚次
大本(おおもと)事件は、新宗教「大本」の宗教活動に対して、日本の内務省が行った統制。大本弾圧事件とも呼ばれる。大正10年に起こった第一次大本事件と、昭和10年に起こった第二次大本事件の2つがある。特に第二次大本事件における当局の攻撃は激しく、大本は壊滅的打撃を受けた。また、宗教団体に治安維持法が適用された初の例であった。
明治維新以降、帝国政府〈大日本帝国〉は宗教に対する統制を強化し、神道系新宗教〈黒住教、金光教、天理教等〉も教派神道として国家の公認下に入った。一方、明治時代後期に誕生した大本教は、教祖・出口王仁三郎(おにさぶろう)の活動により教勢を拡大し、知識人・軍人の入信、新聞社の買収、政治団体との連携や海外展開により大きな影響力を持つようになった。大本教〈王仁三郎〉の活動に政府・警察・司法当局は危機感を抱き、結果、二度の大本事件に発展した。大正10年、当局は大本に不敬罪と新聞紙法違反を適用し、王仁三郎含め三名を起訴した〈第一次大本事件〉。昭和10年、当局は治安維持法を適用して王仁三郎夫妻以下1000名近くを検挙〈起訴61名〉。大本関連の施設は破壊され、関連組織も解体された〈第二次大本事件〉。
一連の大本事件は国家権力による宗教団体への統制と弾圧であり、一種の国策捜査であった。同時に国家神道と新宗教の神話体系・歴史観の対立という側面も強い。第二次大本事件は第一次大本事件にくらべて遥かに大規模であり、また昭和史に与えた影響も大きいが、その評価は現代でも定まっていない。大本聖師/二代教主輔出口王仁三郎についての解釈が難しいからである。二度とも王仁三郎逮捕の後に大本の建造物は破壊され、信者の中から分派〈第一次事件前後では神道天行居(てんこうきょ)・生長の家など。第二次事件前後では世界救世教・三五(あなない)教など〉が独立した。
「大本」の開祖・出口なおは、江戸時代末期から明治時代中期の極貧の生活の中で日本神話の高級神「国常立尊(くにのとこたちのみこと)」の神憑(かみがか)り現象を起こした。当時、天理教の中山みきなど神憑りが相次いでおり、なおの身に起ったことも日本の伝統的な巫女(みこ)/シャーマニズム〈祈祷師による宗教〉に属する。
大本は昭和前期の日本に大きな影響を与え、現在もさまざまな観点から研究がなされていおり、ある意味では日本の新宗教の源流ともいわれている。