ホリショウのあれこれ文筆庫

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第521話 三草二木

序文・雨の恵み

                               堀口尚次

 

 「法華経‐薬草喩品(ゆほん)」に説くたとえ。「三草(さんそう)」は上草・中草・下草の三、「二木(にもく)」は大樹・小樹で、さまざまの植物が、雨の恵みを等しく受けるように、資質の異なる衆生(しゅじょう)が等しく仏陀(ぶっだ)の教えを受けて悟りをひらくことのたとえ。また、仏陀の教えはただ一つ、すなわち雨は同じであるが、それを受けて育つ植物が種々あるように、衆生の受け取り方はさまざまであるの意ともいう。薬草に大中小、木に大小の不同はあるが、雨の恵みを等しく受けて育って薬用となるように、人に能力・素質の違いはあっても仏の教化を受けることで悟りに入り、世を救う者となることをいう。

 植物には、いろいろな草や薬草、木がある。薬草にも大きい薬草、中くらいの薬草、小さい薬草〈三草〉があるし、木にも高い木もあれば低い木〈二木〉もある。その植物が生きる大地を覆うように、厚く大きな雲が発生して、雨が平等に降り注がれる。すると、すべての草木は平等に雨の潤いを受けるが、それぞれが持つ性質にしたがって生長し、花が咲いたり実がなったりする。同じ大地から生じて、平等に雨に潤されても、生長していく姿には、差や違いがある。仏様の教えと教えを受ける私たちもこれと同様。
 仏様は、すべての人々が本当の幸せを得られるための教えを平等に説いた。しかし、人によって仏法を受け入れる能力〈機根(きこん)〉はそれぞれ違うため、教え通りに修行しても、各々が受ける功徳は別々となる。そのため、仏様の教えが本当は同一のものであるということが、正しく理解できない。
 ただ仏様お一人だけが、人々の機根の違いと、本来はすべての人々に仏性が具わっていることを知らないのだ。
 この三草二木の譬(たと)えの、大きな雨雲とは仏様、雨とは仏様の教え、草木はすべての人々のことを表わしている。大小いろいろな植物が同じ大地から生えることは、機根の違いはあっても、すべての人々に仏性が具わっていることを表わしている。そして、平等に潤いの雨を降らせることは、すべての人々を仏様の悟りの境界へ至らしめる法華経を説かれたことに譬えているのだ。