ホリショウのあれこれ文筆庫

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第569話 徳川(松平)と竹千代

序文・14名いた竹千代

                               堀口尚次

 

 始まったばかりのNHKの大河ドラマ「どうする家康」でいきなり疑問がわいた。徳川家康の幼少名が「竹千代」なのは周知のことだったが、家康の長男・松平信康も竹千代と呼ばれているではないか!調べてみると、安祥松平家及び徳川将軍家の世子は、なんと14名が幼少を「竹千代」と名乗っていたことが判明。祖先の幼名が代々の嫡男〈跡取り息子〉に受け継がれることは、珍しくないようでした。

 こんなことを調べていたら、以前訪れた愛知県碧南市のお寺が「徳川家康の幼名・竹千代を命名した寺」と謳っていたことを思い出した。寺の説明書きによると『称名寺は、松平氏の祖・親氏(ちかうじ)の父・有親(ありちか)がここに閑居したという伝説をもつ。松平六代の総領として安城にあった信忠は有縁の称名寺に帰依し、また庇護した。後、やはり称名寺に閑居し享禄四年この寺で逝去した。また、称名寺は西三河の文化中心の一つで、連歌(れんが)〈戦国武将の間で流行った歌読み〉がしばし興行された。徳川家康の父・松平広忠は、たまたま、天満宮より連歌発句の感夢があり、天文十二年称名寺において、夢想の連歌を興行し、脇句をつけた。この時の連歌一巡を書き上げたのが、広忠夢想の連歌の切である。この脇句より住持(じゅうじ)其阿(きあ)〈称名寺の住職〉が家康の幼名を「竹千代」と差上げた。』とある。

 内容が難しいが要約すると『称名寺連歌の会が行われ、広忠は「神々のながきうき世を守るかな」に対して「めぐりは広き園の竹千代」という句をつけた。この句から家康の幼名を「竹千代」としたと伝えられる。』ということのようだ。

 家康の父・松平広忠の幼名も「竹千代」であり、家康は親子三代に渡り同じ幼名を名乗ることになったのだ。

 更に家康の名前は、竹千代の後は次郎三郎そして蔵人佐その後、諱(いみな)は今川義元より偏諱(へんき)を受けて元信、次いで元康と名乗るが、今川氏から独立した際に家康と名乗った。