序文・小次郎は巌流
堀口尚次
巖流島は、山口県下関市・関門海峡に在る島〈無人島〉。正式名称は船(ふな)島(しま)。所在地は「山口県下関市大字彦島字船島648番地」。
本州〈下関市彦島〉から約0.4 kmの関門海峡内に在る小島。島全体が平らな地形であり、標高は最高地点でも海抜10 mに満たない。島の東海岸に設けられた遊歩道などからは関門海峡を行きかう大型船を間近に見ることができる。また、島の相当部分は公園として整備され人工海浜や多目的広場が設けられている。
宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘〈巌流島の戦い〉が行われたとされることで著名となっている。決闘が行われたとされる当時は豊前小倉藩領の船島であったが、小次郎が「巖流」〈「岩流」とも〉を名乗ったことから巖流島と呼ばれるようになった。
島内の展望広場には平成14年12月11日に除幕された小次郎像と、平成15年4月14日に除幕された武蔵像がある。
武蔵と小次郎が決闘を行った日時は、『二天記』〈安永5年〉によると慶長17年4月13日に行なわれたといわれるが、それより半世紀前に書かれた立花峯均による『丹治峯均筆記』〈享保12年〉には武蔵19歳のときとあり、決闘時期には諸説あって実際は不明である。
かつてはすぐ隣に岩礁があり、難所として恐れられていた。豊臣秀吉も名護屋から大坂への帰路の途中でここで乗船が座礁転覆し毛利水軍によって助けられたといわれている。このとき船と運命を共にした船長の明石与治兵衛の名を取り、江戸時代には「与次兵衛ヶ瀬」と呼ばれていた。岩礁は大正年間、航行する船舶の増加と大型化の障害となるため爆破されたが、この部分もあわせて三菱重工業によって埋め立てられた。
展望広場には宮本武蔵と佐々木小次郎の銅像が建立されている。小次郎の像は小次郎ゆかりの地である岩国市出身の彫刻家・村重勝久の作で2002年12月に建立、武蔵の像は公募により廣瀬直樹のデザインを採用した。また、武蔵像は決闘の伝説になぞらえたかのように、小次郎の像から遅れて2003年4月に建立されている。

