ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1476話 幻の大型攻撃機・連山

序文・4機しか造られなかった

                               堀口尚次

 

 連山は、太平洋戦争で大日本帝国海軍が計画した四発陸上攻撃機昭和18年大日本帝国海軍中島飛行機に依頼したが、資源不足から中止になった。略符号はG8N、連合軍コードネームはRita。昭和18年7月27日に兵器名称付与標準が改定される以前は「十八試陸上攻撃機」ないし「十八試大攻」、以降は「試製連山」と呼称された。

 連山は、戦時下の開発・製造となることから、生産性や整備性への考慮として特殊な加工を要する構造材や部品の数を抑え、「彩雲」で採用された厚板構造を導入し、胴体や主翼の製造に要する縦通材やリベット数を削減した。また、高速力が優先されたことから機体は空力的に洗練され、主翼は面積を小さくし翼面荷重を正規状態で250 kg/m2、過荷状態で300 kg/m2と当時の日本軍用機としては大きく設定したため、離着陸時の高揚力装置として親子フラップ〈二重フラップ〉を導入している。

 連山は、昭和16年中島飛行機で試作・初飛行を行ったが重量増大や動力系の問題から性能不足とされ攻撃機としては不採用になった大型陸上攻撃機「深山」の経験や、開戦初期に南方で鹵獲(ろかく)敵対者が戦地などで相手方の装備する兵器などを奪うことしたアメリカ陸軍航空隊B-17爆撃機解体・調査して得られた情報や技術を参考に設計されている。深山での反省から、機体の重量管理が計画当初より徹底され、機銃配置は一式陸攻やB-17と同様となっているが、より新型のものに準じて視・射界や空力的にも良好な銃座となった。降着装置も深山から引き続き前車輪式を採用していた点が、技術的な特徴となる。

 中島飛行機は小泉製作所で試作5-8号機の胴体を製造した段階で以後の作業を中止しており、隣接する小泉飛行場には、完成済みであったが未領収の試作3号機と4号機の計2機が残されていた。うち1機は空襲により大破し、もう1機は一部破損した状態で残されていた。この破損機体〈試作4号機とされるが異説あり〉は米軍に接収され、三沢から運ばれた1号機や2号機の残存部品も流用して修理を行った後、1945年12月には小泉飛行場から追浜まで米軍の監視を受けながら空輸され、横須賀で船積みされアメリカ合衆国本土へ移送された。

 2023年、元中島飛行機従業員2名の親族の群馬県の家から、連山の風防と見られるガラス38枚が見つかった。