序文・死亡遊戯
堀口尚次
ブルース・リー〈1940年 - 1973年〉は、香港人の中国武術家、武道家、俳優、哲学者。截拳道〈ジークンドー〉を創始したマーシャルアーティストとして知られる。本名は李 振藩〈リー・ヂェンファン〉。身長については167 - 175cmと諸説あるが、実際に面会した一部の人の証言などから170cm弱とされている。体重64kg。墓碑銘は『FOUNDER OF JEET KUNE DO〈「截拳道の創始者」の意〉』。リンダ・リー〈旧姓エメリー〉との間に一男一女。息子はブランドン・リー、娘はシャンノン・リー。
1973年7月20日、リーは『死亡遊戯』で共演予定の女優、ベティ・ティン・ペイ〈丁珮〉 の香港の自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤を飲んでベッドに横になった。しかし、そのまま昏睡状態に陥ったため、ティン・ペイはレイモンド・チョウを呼びそのままクィーン・エリザベス病院へ搬送されたが、死亡が確認された。32歳没。
公式な死因は脳浮腫である。司法解剖の結果、微量の大麻が検出された。検死報告によると、リーの脳は1,400gから1,575g〈13%の増加〉まで膨らんでおり、頭蓋内圧の亢進(こうしん)により脳幹が圧迫されて死に至ったと考えられている。リーは、『燃えよドラゴン』の撮影約1か月後の1973年5月10日、ゴールデン・ハーベストのスタジオで音声吹き込み中に昏倒して意識不明の重体に陥り、そのまま病院に運ばれ2時間後に回復するも入院し、13日には退院している。その後、渡米し精密検査を受けるが結果は異常なしであったとされる。脳浮腫が起きた原因は背中の古傷に長年使っていた痛み止め薬と、その晩に服用した頭痛薬の副作用といわれている。
リーの死後、彼が待望していた主演作『燃えよドラゴン』がアメリカを皮切りに世界各地で公開され、ヒットした。しかし、地元香港では、前作『ドラゴンへの道』の興行収入を大きく下回った。
『燃えよドラゴン』でアクションスターとして世界中で名声を獲得した時、すでにリーは亡くなっていた。死後、『ドラゴン危機一発』などの過去の映画が世界中に配給された。
