ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第1164話 仲見世

序文・お前と会った仲見世の~♪

                               堀口尚次

 

 江戸時代は商業が急速に発展し、各藩の城下町、街道沿いに発達した宿場町、仏教寺院近くの門前町〈神社では鳥居前町〉、港町に多くの商人が集まった。なお、寺院の門前町などで商品の中身を見せて展示して販売する商店街は仲見世仲見世通りとも称され、浅草寺〈東京都台東区仲見世通りに現在もその名を残す

 共通するのは、商業地として栄えていたところや、人馬の往来が多いところなど集客を期待できる地域に店が集まって、自然に発生し、栄えていったことである。近現代には鉄道駅周辺がこれに加わった。

 20世紀前半に日本では農民層の減少と都市人口の急増という現象が生じ、都市流入者の多くは雇用層ではなく資本をそれほど必要としない貧相な店舗、屋台、行商といった小売業の零細自営業であった。都市化と流動化による新たな小売業の零細自営業の誕生により、零細自営業を増やさないこと、そして貧困化させないことが課題となり、この課題を克服するなかで生まれたのが「商店街」という理念であった。現存する多くの日本の商店街は20世紀になって人為的に創られたものである。

 人口増加とともに発展していった商店街は、太平洋戦争末期の日本本土空襲によって一度は焼け野原となった地域が多かったものの、戦後の復興とともに再び発展していった。GHQ独占禁止法で十分として百貨店法を廃止するも、主権回復後の昭和30年に旧百貨店法に休日規定等を加えた新百貨店法〈後に大規模小売店舗法〉を復活する形で成立。昭和31年に自営業者からなる中小企業政治連盟〈中政連〉が結成。昭和32年に中小組合にカルテルを認める等の中小企業団体法が成立。昭和34年に大企業だけでなく、購買会や生活協同組合の事業に対しても、行政による制限が可能とする小売商業調整特別措置法が成立。昭和37年に商店街のメンバーが結成した組合に法人格を与える商店街振興組合法が成立し、政府が必要と認めた場合に補助金が交付されることが明記された。このような保護規制のもとで商店街は繁栄していった。

私見ビートたけしが歌った「浅草キッド」の歌詞に、「仲見世」がでてくるが、「仲見世」の「くじら屋」のモデルとなった店舗は実際には仲見世ではなく、たけしが修行を積んだフランス座近隣にあった「一六酒場」だそうだ。