ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1401話 用水の神様・岡田菊次郎

序文・水を使う者は自ら水をつくれ

                               堀口尚次

 

 岡田菊次郎〈慶応3年 - 昭和37年〉は、三河碧海郡安城村戸崎〈現・愛知県安城市安城町〉出身の政治家。

 安城村長、安城町長。安城村会議員、安城町会議員、碧海郡会議員、愛知県会議員。安城町に愛知県立農林学校〈現・愛知県立安城農林高校〉や愛知県農事試験場などの施設を誘致し、町内の道路整備を進めた。明治用水などの水利事業にも関わり、「用水の神様」と呼ばれた安城市名誉市民。

 慶応3年、三河国碧海郡安城村戸崎〈現・愛知県安城市安城町〉の米穀商である岡田覚兵衛の長男として生まれた。19歳の時に家業を弟に譲って百姓となり、約1町歩の田畑をもらって新家に出た。東海道本線〈現在のJR東海道本線〉の測量を手伝ったり、土地整理委員として土地調査を行ったりしている。明治22年から安城村役場の仕事にかかわり、明治23年には安城村の書記となった。明治24年には安城村の村会議員となり、その後安城村の助役となっている。

 明治30年明治用水普通水利組合の議員となり、明治36年から昭和23年までは常設委員を務めている。大正3年には岡崎平野の水源である長野県下伊那郡根羽村の山を購入して植林を行う水源涵養を計画し、反対運動を押し切って植林を行った。東加茂郡下山村羽布〈現・豊田市羽布町〉にも植林を行っている。同じ矢作川から分水する明治用水と枝下用水はばしばし水争いを起こしていたが、大正15年には西三河地方の発展のために両用水を合併させた。太平洋戦争後には明治用水土地改良区の初代理事長に就任している。明治用水の水資源を確保して末端部の水不足を解消し、用水の管理体制を整備したことから、用水の神様」と呼ばれた

水利に関する岡田の言葉に「水を使う者は自ら水をつくれや」が残る。

 62歳の時には現在の御幸本町に初めて銅像が建てられ、太平洋戦争中の金属供出によって一時的になくなったが、戦後にはすぐに再建された。昭和37年9月3日に死去。95歳の長寿だった。JA愛知中央本店の建て替えに伴い、御幸本町に勃っていた岡田の銅像大東町明治用水会館に移設されている。

※筆者撮影