序文・反戦公約
堀口尚次
ジョージ・スタンリー・マクガヴァンは、アメリカ合衆国の政治家。連邦下院議員、連邦上院議員。上院では貧困問題に関わる2つの特別委員会の委員長を務めた。他に大統領特別顧問、国際連合食糧農業機関のアメリカ代表、飢餓問題に関する国際連合大使を歴任。1972年の民主党大統領候補。
1972年の大統領選挙におけるマクガヴァンの選対本部長は後に上院議員となり有力大統領候補と目されるも女性スキャンダルで失脚したゲーリー・ハートである。マクガヴァンの公約はベトナムからの米軍の即時撤退とそれを引き換えとする捕虜の返還、および脱走兵に対する恩赦をうたっていた。この「反戦公約」は、すでに1970年のマクガヴァンが提出者の一人であった、戦争開始の際に議会の同意を求める法改正に予兆が現れていた。マクガヴァンのほかの公約では、3年間に37%の軍事支出の削減、全国民に対する1000ドルの給付〈これは6500ドルの最低収入制度の創設に切り替えられた後に公約から外された〉、憲法への「平等条項」の挿入というものがあった。選挙運動中、民主党副大統領候補のトーマス・イーグルトンがうつ症状の電気ショック療法を受けていることが判明し、得票への影響を懸念したマクガヴァンはイーグルトンを降板させサージェント・シュライバーと交代させた。マクガヴァンは多くの有権者から極端な立場とみなされ、特に従来資金や影響力の面で民主党を支えていた民主党支持の上流階級の支持を取り付けることが困難であった。本選挙では現職のニクソンに得票率で60-38%〈獲得選挙人数で520-17〉の敗北を喫したが、これは当時史上2番目の大差であった。マクガヴァンへの投票が上回ったのはマサチューセッツ州とワシントンD.C.だけであり、地元のサウスダコタにおいても及ばなかった。選挙運動の期間中、ハワイ出身力士の髙見山大五郎が幕内優勝を果たした。その際、マクガヴァンは祝電を発したが、対立候補で現職のニクソンの祝電の話題に隠れ、当時は殆ど話題にならなかった。このことは、2009年に東関が定年退職直前に明らかにした。選挙運動にはサイモン&ガーファンクルも加わっており、6月14日には支援コンサートで歌唱した。
【私見】フォークグループ「かぐや姫」の「山田パンダ」が、1972年こコンサートで、「アメリカの大統領選挙も終わりました。私はマクガヴァンをおしてたんですけどねぇ」としゃべっていました。