序文・明治天皇の御製
堀口尚次
明治天皇は和歌を好み、多くの御製を遺している。その数は、九万三千首余り といわれる。日露戦争直前に戦争回避と平和を望んだこの御製(ぎょせい)はのちに、孫の昭和天皇が1941年〈昭和16年〉、日米開戦の回避を切望するにあたり御前会議で閣僚・陸海軍首脳らの前で発言することで有名にもなる。
【私見】日本は立憲君主制国家であるため、天皇は政治に対して進言できない。ただし戦前の天皇は統帥権〈軍隊の最高責任者〉を掌握していた。外交〈政治〉で解決できない国際紛争の行き着くところが、有形力を行使する戦争となる。政治の最高機関である内閣が戦争遂行を決定しても、軍隊を動かす権限〈統帥権〉が天皇にあるため、天皇の裁断が必要となる。
では明治新政府は、なぜ統帥権を天皇にもたせたのだろうか。それは、武力機構を政治に持たせてしまうと、明治維新前の「幕府」のようになってしまい、いわゆる「覇者=武力の強い者」が政治をやっていた時代に逆戻りしてしまうからではないだろうか。「尊皇卑覇(せんぱ)=天皇が尊く、覇者は卑しい」という思想は江戸時代からあった。国の統治者は天皇であり、幕府の将軍は委任統治者にすぎないという考え。明治維新後は、武力機構を将軍から天皇に移したのだ。
ところが前述したように、その武力が必要となった〈国際紛争〉時に、内閣には権限がない統帥権の運用に問題が起きた。
しかしながら明治時代の日露戦争開戦時に、統帥権行使の裁断を求められた明治天皇は、戦争回避のタイトル御製を詠んでいる。更には太平洋戦争開戦時の昭和天皇も、明治天皇の同じ御製を詠んでいる。
要するにいつの戦争でも、天皇は開戦回避を切望されていたのだ。
タイトル御製の現代語訳は『四方の世界はみな同胞のように思っているのに、なぜ波風が立ち騒ぐのだろうか』となる。
長きにわたり鎖国をして、四方の世界を閉ざしていたのは日本であったが、もっと早くに天皇親政になっていれば、また違った世の中になっていたのかもしれない。
因みに、戦後に統帥権はなくなり、現在の武力行使権限は内閣総理大臣にあり、文民統制〈シビリアンコントロール〉されている。
